自分で食べる分は自分で稼いでいる。
なので自分はちゃんと自立している。

それは立派なことですが、
お金を稼げばご飯が食べれる、
と思うのは、おごりがありますね。

スーパーに行けば食材があふれるほどある。
飲食店にいけば、何でも食べられる。
お金があれば、何でも食べられる。

 


そうなんですけど、
農家さんが食材を育てたり、
流通さんが運んでくれたりするから、
お金だけ出すだけで食べれるわけで、
それをあたり前と思ってはいけませんね。


スーパーに行けば小麦粉が買える。
どこで誰が作ったものか知らなくても、
粉もん料理を作って食べれる。
でも今、戦争状態にある地域の農家さんが
作った小麦が出荷できなかったり、
海外に運び出せなくなって、

手に入りにくくなってきている。

そこではじめてそこに意識が向けられ、

日常のありがたさを感じる人もいる。
それでもなお、値段が高くなったと文句を

言うだけの人もいる。

人は皆、いろんな人のおかげで生きている。
自分で生きていたのは横井庄一さんくらいか。

(古い話ですが、先日ドキュメンタリ番組で

久しぶりに見て思いだしました)

お金を稼いでもご飯が食べれない、
そんな状況にならないといろんな人のおかげで

生きられていることがわからない、なんて
そんな人たちが増えてくると、

それがより現実化に近づくような気がします。
 

(立志創世塾ワークショップにて)