今日は

エッセイ 坂本龍一さんによせて・・

 

坂本龍一さんが旅立たれ

しばらく経ちます

 

坂本さんの音楽を敬愛し

高校生から聞いていた僕は

僕なりに坂本さんのことを

知っているつもりでしたが

 

あれから毎日

坂本さんのニュースが続き

僕が知らない話を

知ることになりました

 

例えば

 

中学時代、

元厚労大臣の塩崎恭久さんと

ブラスバンドをやっておられ

親しくされていたこと

 

 

当時坂本さんはチューバ担当 

 

それで思い起こされたのは

坂本さんが編曲された

YMOの「ライディーン」

 

ライディーンは

よくスポーツの

行進曲でも使われましたが

 

後半に出てくる

ピッコロのような

シンセのフレーズは

マーチの編曲

にも聞こえます走る人

 

このピッコロ音に坂本さんの

ブラスバンド時代の残照が

あったでしょうか?

 

(僕も中学時代ブラバンで

フルート&ピッコロ担当でした)

 

(ピッコロ的フレーズが3:10~聞こえます)

他にも

 

1991年の映画

「江戸城大乱」で

僕が主題歌担当を

させていただいた際に

 

ご一緒させていただいた

作曲家の

池辺普一郎先生が

 

坂本さんが通われた

新宿高校の

先輩にあたり

坂本さんが芸大受験の折

アドバイスをされていたり

 

 

(映画 

江戸城大乱について話しています)

 

坂本さんの芸大時代

血気盛んな坂本さんが

世界で知られる作曲家

武満徹さんの音楽に異を唱える

ビラをまいたことがあると

聞いていましたが

 

それから二人の

お付き合いは

続いておられたと・・

 

(僕が楽屋で坂本さんと

お会いさせていただいた時も

武満徹さんと村上龍さんが

尋ねておられました)

 

 

などなど
知らないことばかりで

僕は坂本さんのことを

何も知らないなと

思った次第です。

 

僕は仕事柄

芸能関係の方に

お会いさせて

いただけることがあって

 

媒体やテレビで知ることと

実際に会うと印象の違いは

あるもので

 

1996年だったと思いますが

楽屋で坂本さんとお会いさせて

いただいた時の印象は

 

無機的なテクノとは対照的な

 

体ががっちりとして骨太で

どこかおおらかさを感じたものです。

力強い握手をしてくださいました。

その手の感触を今も覚えています。

 

最後に

僕からご紹介したい

坂本さんの音楽、

まずは

「千のナイフ」(1978)

 

僕は高校生の頃に

この音楽に出会い

衝撃を受けました

 

物申す政治的発言で

反骨の姿勢を最後まで

貫かれた坂本さん

 

この曲のイントロのボコーダーでは

学生運動家に人気があった

毛沢東の言葉を朗読しています

 

そして

Happy End

隠れた名曲です

 

このHappy Endもそうですが

東風 テクノポリス

戦メリ ラストエンペラー

シェルタリング・スカイ 

Energy Flowなど

 

坂本さんの曲の多くは

マイナースケール<短調>です

 

晩年

短調に悲しみの共有や救いを

感じていたと語られていました

 

坂本さんの緻密で

繊細で儚くも美しい

曲が好きでした

 

坂本さん 永遠に

 

ご冥福をお祈りいたします

 

 

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