「忘れない」とは。

そこに記せば忘れていないわけでもないと思うし、

そこに記さなければ忘れたというわけでもない。

 

あの日、僕は東京にいた。

直接的に大きな被害を受けたわけではないが、

それでも経験したことのない揺れと、

普段なら経験しないことが、この日にあった。

 

毎年何かしらを記すことも忘れないことかもしれない。

ただ、日常を取り戻すことは誰しも常日頃から進むべき道だと思うので、

敢えて書かなかったり、この日に日常を書いても良いと思う。

今年はふと、日々ブログを書く中でこの日のことを

僕なりに書いてみようと思った。

 

 

13年前。

あの日あの時刻、僕は東京にいた。

仕事の電話で女性を会話をしていた。

話し始めて程なくして、落ち着いたトーンで話していたはずの女性が

異変を感じたのか様子をうかがうようなトーンになり、

やがて叫び声に変わった。

「どうしましたか?大丈夫ですか?」

電話口で問いかけるも、すぐに電話は切れてしまった。

着信番号の市外局番から東北からの電話であることは想像がつき、

数日前から大きな地震が続いているのをニュースで見ていたので、

即座に地震だと結びついた。

 

すぐに、上司に

「なんか電話が切れてしまって。東北の方みたいなんですけど…」

と声を発しながら席を立ったところで、

東京にも揺れが来た。

みんな各々の仕事を切り上げ、自席でじっと天井を見つめたり、

机の下に潜ったり。

明らかに普段経験するものと違うことは誰しも気付いた。

 

耐震構造によるものだろうが、

この時の長い、ゆらりゆらりとしたあの揺れの感覚が

とても気分が悪く、あの感覚を今でも思い出す。

 

上司がテレビを点けると、

宮城県で震度7を記録したというニュース映像が。

時間差で東京でも経験しないものとして

記憶に刻まれる程なのだから、

震源近くで経験された方々はどれほどのものだったのか。

それは僕には到底想像がつかない。

 

この日は仕事にならないので、

しばらく待機したあと、夜になって帰宅するかどうかを

それぞれ考えていた。

もちろん交通機関はストップしているのだから

帰宅と言う選択肢の無い人もいて、

今日はここに留まるという人もいた。

 

僕は家まで15km程度だったことを知っていて、

以前から徒歩で帰宅経験があったので、

道を知っているからと迷わず帰宅することとした。

 

ただ、これは今考えるととても危険なことをしたと思っている。

大きな余震が起きたら更なる被害を生む可能性があり、

安易に普段と同じ装いで街中を歩き回るのはリスクが大きい。

でも、この時はそんな知識も考えもなく、

当時家族と住んでいたので心配もあり、

「帰る」一択だった。

 

普段なら人気のないような小道まで、

この日は人の途絶える道は一つも無かった。

僕と同様に歩いて帰宅することを選んだ人たちが

どこの道にもいた。

不思議と人がいることの安心感があった。

ただ、これは余震での被害がなく済んだから

今そう思うだけなのだが。

 

家があと数キロの所に差し掛かった所から、

ポツポツと電気の点いていない場所が現れ出した。

コンビニの自動ドアが解放されたままで、

店内は真っ暗という光景を見た辺りから、

改めて「いつもと違う」ことを認識した。

 

影響がなかった近所のスーパーで、

ひとまず食料品を何か買おう…

店内に入るが、すでに販売されている商品がかなり限られていた。

そんな中からとりあえず少しの食品を購入。

そして、この角を曲がったら自宅という

角を曲がった瞬間、闇。

 

電気が1か所も点いていないというだけで、

時が止まっているような、

音も無いかのような感覚に陥った。

一気にいろんなことが頭の中を巡った。

「家族、大丈夫か」「避難している?」「近所の人は?」「みんないるのか」

 

小走りで自宅へ向かい、

玄関ドアの鍵を開けた。

…家族がいた。

落ち着けばすぐわかるが、

我が家一体も停電していて、

家族はロウソクの火を立てていた。

 

その後しばらくして停電は復旧したが、

部屋に戻って、当時ユーストリームでNHKのニュースが

ずっと公開していたため、

パソコンでニュースをつけたままにしていた。

 

東京にいて想像もしなかった水の猛威が、

その映像には映し出されていた。

 

帰宅してから落ち着いた頃に

あの揺れと当時の瞬間を冷静に思い出したら、

不思議と体が動かず、

帰宅した格好のまま、ベッドに横たわった状態で

翌日は一日ニュース映像を見るしかできなかった。

 

あの時の電話の女性がどうなったのかは

知る術がない。

どうか無事でいてほしいと今でも思い出す。

 

常に地震と隣り合わせだと思いながら

生活していかなければと。

ただ想像をはるかに超えてくる地球の脅威を前に

無力であることはいつも思い知らされる。

 

上手くまとまらないが、

忘れないこととして残しておきます。