何度も言います(書きます)が、

僕が昭和時代の名曲にハマるきっかけを作ったのは

間違いなく「ザ・ベストテン」です。

 

1978年1月19日に第1回のランキングが発表され、

1989年9月28日の最終回まで多くの人を楽しませてくれた番組。

最終回を迎えた時は本当に悲しかったし、

その後しばらく虚しさを感じたものです。

まぁ、気付けば時代は昭和から平成になっていたんですよね。

時代が「新しい幕開け」への高揚感を抱かせ、

期待と不安が入り混じった空気感を子どもながらに感じていました。

 

いえね、こんな記事を見かけたのですよ。

元TBSプロデューサーで、まさに「ザ・ベストテン」を手掛けていらっしゃった

齋藤薫さんの記事。

『最高視聴率 41.9% 伝説の音楽番組「ザ・ベストテン」終焉へのカウントダウン』

 

そう!先程書いた、僕にあの悲しさ虚しさを与えた

ザ・ベストテンの終わりの頃、その番組に関わっていらっしゃった方の記事。

 

同じく番組に関わっていた山田修爾さんの本も買い、

番組の裏側的なものにも興味があったのですが…

 

10年以上続いた番組ではあったので、

視聴者側のニーズが変わったこともあるというのも頷けます。

ただ、この同時期に終了した「夜のヒットスタジオ」は20年以上続いていたし、

終了時「歌のトップテン」だった番組も「ザ・トップテン」「紅白歌のベストテン」からの

継続と考えれば、やはり20年を超える番組でした。

 

あくまで個人的な見解ですけど、

「ザ・ベストテン」という番組はまさにその時にヒットしている曲の

上位10曲を紹介する番組。

なのでランキングは、そのまま今の流行を映し出しているもの。

時代の移り変わりに、最も影響を受けやすい番組だったんですよね。

その中で、番組構成やビックリするようなブッ飛んだ演出を繰り出して

番組寿命はどんどん延びていったと感じます。

 

そう考えると、

齋藤薫さんはじめスタッフの皆さんのご苦労はいかばかりか…

それを何も考えずただただ見て聴いて楽しんでいたんだなぁと。

 

司会の黒柳徹子さんは、終わる理由を

「以前に比べ、1曲が長くなった。毎週10曲紹介しないといけないが、

曲が長くなるとトークが短くもなるし、そうするとなかなか1時間で納めるのが難しくなった」

ということを語っていたのを拝見したことがあります。

 

今回の記事もそうだし、徹子さんのお話もそうだし、

視聴者のニーズも変わり、番組として大事にしていた部分も守れなくなってきたことで、

終わりを考えざるを得なかったのかなと。

でも、時代が変わってダラダラと続けるよりは、

美しい身の引き方だったと勝手に思っています。

だからこそ、いまだにファンが多い番組なのだし。

 

 

齋藤薫さんの記事でもありましたが、

第600回放送で「12年間ベストテン」というのが発表されました。

まさにこれまでの集大成で、全ランキングの総得点でランキングを出したのです。

僕も当時、12週連続1位の寺尾聰さんの「ルビーの指環」でしょ!と思っていたら、

…3位。

「え?2位でもない??」

1位は五木ひろしさんの「長良川艶歌」だったのです。

(2位は山本譲二さんの「みちのくひとり旅」)

 

ご存じでない方のために…

「レコード売上」「有線放送リクエスト」「ラジオリクエスト」「番組へのはがきリクエスト」

この4要素の順位に番組独自の特典をつけて毎週のランキングが決まるのですが、

そうなると、「どれだけ売れたか」「どれだけリクエストがあったか」よりも、

「どれだけ息の長いヒットか」が高得点につながることが多くなります。

当時、ロングヒットは演歌のお得意な売れ方でしたので、演歌強しとなるわけです。

そういえば「みちのくひとり旅」も20週以上ベストテン入りしてました。

 

演歌が強いと思ったエピソードと言えば、

他にも芦屋雁之助さんの「娘よ」が

ウィークリーでベストテンにランクインしていないのに

1984年年間9位にランクされたり。

 

瀬川瑛子さんの「命くれない」も、

発売は1986年なのですが、

翌1987年の年間ベストテン2位にランクインします。

こちらもこの時点でウィークリーのランク入りは無し。

そして、更に翌1988年に念願のベストテン入りを果たします。

 

「長良川艶歌」はウィークリーの最高は8位。

ですが、1984年6月7日に初登場以来、10位内を浮いたり沈んだり…

7月5日/9月13日/10月4日/11月8日/12月13日…

と、5回の返り咲き(再登場)。

そして大晦日に「レコード大賞」を受賞して、

翌1985年1月17日に、6回目の返り咲きを果たし、翌週までランクイン。

(1984年の年間ベストテンの1位も獲得していました)

 

「ザ・ベストテン」での最強歌手は、五木ひろしさんでしょうね。

「おまえとふたり」で初ランクインしてから、

「倖せさがして」「ふたりの夜明け」「港・ひとり唄」「細雪」「長良川艶歌」「そして…めぐり逢い」「追憶」「港の五番町」

…だったかな(抜けていたらご指摘ください)。

演歌ではダントツのランクイン数ですし。

 

あぁ、もういくらスペースがあっても足りないので、ここまで!

齋藤薫さん、「ザ・ベストテン」について記事を書いていただき、ありがとうございます。