「週刊女性PRIME」で、『復活してほしい音楽番組』アンケートを実施。

3位『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』

2位『夜のヒットスタジオ』

そして、

1位『ザ・ベストテン』

という結果になったそうです。

 

どの年代のどれくらいの人数を対象にしたかは

記載が無かったのですが、

平成に人気だった番組を抑えて1位というのはすごいですね。

 

『ザ・ベストテン』は、

1978年1月19日~1989年9月28日まで

毎週木曜日21時にTBS系で放送されました。

黒柳徹子さんは全回を通して司会。

男性は久米宏さんが初代。

1985年4月に報道番組をやることとなり辞めることとなるが、

同10月に小西博之さんが2代目に正式決定するまで

数多くの方が週替わりで司会をしていた時期もあります。

(生島ヒロシさんがサポートでつくことが多かったですが)

その後、松下賢次(当時TBSアナウンサー)さん、渡辺正行さんと

バトンタッチしていくんですよね。

 

つい先日、『ザ・ベストテン』については触れたばかりですが、

でも、昭和という時代の終わりと共に終わりを告げたこの番組。

やがて、次の時代である平成も令和にかわり、

気付けば終了から34年も経過するのに、

今でも多くの方が自分と同様に『ザ・ベストテン』愛を忘れていないことが

とても嬉しく思います。

 

まあでも、演出も時にブッ飛んでて、

荻野目洋子さんの「六本木純情派」で、

白塗り集団の白虎社が出てきたり…

杉村尚美さんの「サンセット・メモリー」で、

お寺のようなセットで、雷が鳴って

唄っている後ろで門が開き、

お坊さんが出てきて両手を挙げているとか…

他にも新幹線の中やら途中駅で停車中のわずかな時間で唄ったり、

オープンカーで走行中に唄うのもありましたね。

岡田有希子さんが「哀しい予感」でオープンカーから唄ったときも、

間奏で上空から周辺を映してるけど、

明らかにノロノロ運転してるため、

後ろが渋滞になっていました。

 

今ではまあ無理でしょうけど、

当時だからこそできた、でもかなり危うい演出、

しかも生放送という緊張感。

『ザ・ベストテン』は1981年に40%を超える

最高視聴率を叩きだすのですが、

この番組のヒットで、各局ベストテン番組を始めるんですよね。

日テレ系の『紅白歌のベストテン』も当時はランキング形式ではなく、

1981年に『ザ・トップテン』となり、ランキング形式となったんですよね。

 

『ザ・ベストテン』はランキング形式という画期的なシステムが

人気の要因の一つではありますが、

それだけではなくて、演出の斬新さ(時に意味不明なのもありましたけど)、

あとは黒柳さんと久米さんの掛け合いの軽妙さ、

あと先日書いたような黒柳さんのインテリジェンスな部分もあって、

大人も子どもも楽しめる番組だったのではないかと思います。

 

「掛け合いの軽妙さ」「インテリジェンス」

一見演出でハチャメチャな番組に見えるけど、

黒柳さんや久米さんのような頭の回転の良さを見せてくれる方々が

番組進行することで、

独自の集計方法で作るランキングにも説得力が出ていたような気もします。

 

あのパタパタのランキングボード欲しいなと思ったことも…

でもあれ1000万円くらいかかったなんて話を聞いたこともあります。


ディレクター・プロデューサーを担当した

山田修爾さんが書かれた『ザ・ベストテン』。

数々の秘話が書かれていて、

番組スタートから毎週大変なご苦労があったことも

垣間見える一冊。

僕の宝物になっています。