日本語で出版されている、
というか日本人が出しているビジネス本は、
その多くがつまらない。
なぜならまだ成功しているわけでもなく、
「成功者」として成功しつつある途上のビジネスマンが出しているものが大概を占めているから
(それだったらホリエモンの本の方がまだ信憑性がある)。

 それに対して翻訳される海外のビジネス本は、
しっかりと方法論的なことが明確に記されているので、読む価値があることが多い。

 ・・つまり、日本のビジネスマンで本当に成功している人は、
成功しつつあることを押し隠す。

 ・・そうなんだ、日本では成功者は目立っちゃいけない。
これはわたしのいる業界だって同じこと。
黙って成功しているうちが、日本では華なんだ。
日本経済は有限な国内市場の奪い合いに明け暮れているので、
方法論が一般化され明文化された時点で、
それは敗北の始まりを意味するのだ。

 じゃあ方法論として明確な海外のビジネス本をどう読むかだ。

 クリスチャンであれば、方法論であれば聖書に当たるべきだろう。
だけど聖書をどう読むかについては、
自分の読み方だけでは(新しい気づきこそあれ)自分の殻を破るのは難しい。
それは自己が自己であることの反復をしばしば意味するからだ。

 だとすれば方法論的な事柄であれば、
ビジネス書でそれを学ぶのであるとすれば、
それを聖書的に読むならどう読めるか?を考えれば良い。
「なるほどそうか!」と思わされた時、
聖書的にこれを受け止めるならどういう言葉が聖書にあったかと黙想すれば良い。

例えば写真の『Think cleary』という本であれば、




「修正する力が大事だ」→日々悔い改めて新しくされること

「何を書きたいかは、書き始めてみないと分からない」(ピカソ)→人は自分がやろうとすることが何であるかを分かっていないことが多い。

「計画を一度立てることよりも、計画を立て続けることが大事」(アイゼンハワー)→使徒パウロの働きもまさにそうだったな、成功は計画しなおし続けることが大事なんだ。

 聖書はこういう読み方も出来るとわたしは思う。
むしろ一度聖書をある程度知識として手に入れたなら、
こういう聖書の読み方こそが次の段階なのではないかと、
わたしは思う。