関係の絶対性、とは、
むかし日本の思想家の吉本隆明さんが、
その著書『「マチウ」書試論』で持ち出した概念だ。難解で知られている言葉だが、
結局のところその意味するところは、
何ものかに闘争する際に(吉本氏にとってはそれが階級闘争だったわけだが)、
その闘争が正当化されるのは、
その他者との関係性の優劣が絶対的なものとしてあることが担保となる、
ということだ。

 それでもなお、分かりにくい言葉かもしれないが、
この概念は、人間がおよそ他者との関係で持つ関係性について考えるのに相応しい。

 心のうちの他者とは、
そのような関係性の絶対性において自己を正当化する根拠となるものだ。
そして他者を赦すとは、
その関係性において担保される自己の正当性を捨て去るということだ。

 旧約聖書のヨブは、
神との関係性においてこの関係の絶対性を根拠に自己を正当化した。
ヨブはこの関係性を神との関係において捨て去った時、
義とされ祝福されたのだ。


 うちなる自己の義を握りしめた前期ヨブと、

そういう自己の偶像化された神を捨て去った後期ヨブ。

この2つの自己のドラマは、

しばしば人の心の中に問われ続けるものだ。