野菜屋さんの買い物がてら、野菜を包む古新聞でしばし立ち止まり、考え事。
これもまた休日ならではの楽しみ。




 ニュージーランドの大学の将基面先生(日本人だと思われる)の記事。

 古代ローマの共和主義国家における愛国心は、
「自由や平等」といったいった共通善を前提とするものだが、
近代オリンピックの掲揚するものはナショナリズムであり、
それは他者への不寛容を導き出す、というわけだ。

 これを読んで、「そうだ!」と思う人もいるんだと思う。
 
 でも僕は違うかな。

 オリンピックで自国を応援するとして、
それが排外主義に結びつくかというと、
私自身は全然そうは感じないし、そういう精神性の人も、
スポーツを応援する多くの人に対して感じないな。
オリンピックだとしても、いい試合、いい競争をする人は、
国家を超えて応援される。私はそう思う。

 そもそも古代ローマの「自由や平等」は、
ローマ帝国の覇権主義が大前提。
個々人の能力が重視され称賛されたのも、
ローマ帝国の領土の広がりと成果主義が前提であり、
加えてローマの「自由や平等」は、
ローマ帝国の市民権という絶対的な権利の上に成り立つものであり、
土着人や異邦人たちはそんなものから外れている。

 領土の広がりや覇権主義が肯定されない現代は、
むしろ健全な愛国心とは何かについて考えていくことじゃないかな?

 またこの先生は古代ローマ帝国では「暴政」を敵としていたというけども、そんな暴政を歴史上生み出してしまったのも、ローマ帝国の覇権主義の歪みの極点ではないのかな?

 大学の先生は自分の世界に閉じこもって考えがちなのを、
私は個人的な知見からも感じる。
多分この先生も普段、スポーツなんて応援したりはしない方なんじゃないかな?