聖書の暗記に関してアメリカ人の方が書かれています。
https://www.christiantoday.co.jp/articles/27701/20200211/how-to-memorize-scripture-bible-memory-man.htm
聖書の語句数をページの横に書いて、それを頼りに暗記するとか、
同じ聖書を使い続けるとか、
ユダヤ人から学んだ方法が紹介されていて興味深いです。
ただ、これと同じ方法が日本語でも出来るかというと、話は違ってくる。
漢文かなまじりの日本語の文章の語句数をカウントすることは、
英語やヘブライ語、ギリシャ語とは違い、ちょっと無理。
これは実のところ、言語の構造分析でも関わりのある課題です。
文章における語句の展開に視点を合わせる、
ジュリア・クリスティバ流の文学の構造分析は結局、
日本には根付きませんでした。
(一部、大学入試の国語で今もその方法が使われているようですが、
文学作品に対する内容の連関を解明する手続きとしては微妙な手法です)。
実際のところ、今から二十年くらい前に日本でも大流行になった、
いわゆるニュークリティックの文系学者の方々は、
今はどこに活躍の場があるのか分からない状態に成り果ててます。
日本語の文章を構造分析すると、
結局のところ精神分析の方向(書き手の無意識の解明)に向かってしまうので、
文の趣旨を解明する手続きとしてはやはり微妙です。
ですが(ここからがこの文の主題なのですが)、
聖書の読解方法としては、実のところのこの構造分析の手法
(語句の繋がりや文章の構造に着目した内容の読み取り)は生きます。
聖書が翻訳のものであり、その内容・形式がそれを可能にしてくれるからです。
聖書を構造分析的に読む方法は、
何か定式があるものではなく、
とにかく自分が気になった、
関心を持った語句や出来事に焦点を合わせ、
語句の展開に目を向けること。
そうすれば、実に聖書というものは、
多様な視点からの読み方というものを可能にしてくれる書物であることに、
目が開かされるのです
(この方法をしないで聖書を読むのはとてももったいないので、
是非、おすすめな読み方です)。