今年度の栗原家のテーマ聖句は、
第一コリント4章の御言葉です。
"ですから、主が来られるまでは、
何についても先走ってさばいてはいけません。
主は、闇に隠れたことも明るみに出し、
心の中のはかりごとも明らかにされます。
そのときに、神からそれぞれの人に称賛が与えられるのです。"
簡単に言うと、「この世を自分自身では裁かない」ということです。
裁かない、と言いながら心の中で裁くというのももちろんしないということです。
日本に外国からやってくるリバイバリストの方々も、
結局のところ、日本で宣教の実りがないと途端にヨナのような心性に陥ります。
でもそういう宣教で実りを上げた宣教者は、
私の知る限り1人としていないです。
ヨナの宣教を宣教論として一般化するのは結局無理だと私は思います。
日本で宣教の実りを上げているのは例外なく、
深い愛と哀れみ、いや、哀れみというと語弊があるので、
慈しみの心のある宣教者だと私は思います。
世を裁く心性は、結局、
自分がそこに同一化することを恐れるところから生み出される。
だからそれは宣教じゃなくて自己保身なんだ。
そういうのは祈りの中で神様と対話する取り組みであれば良い。
この世を裁かない道、というのは、しかし結構難しい。
だけど、それ無くしては宣教は成立しない。そう思う。