クリスチャンだったらこう考える、あるいは、
こう考えるべき、という紋切り型というものが、
あるのかもしれない。
だけど心性からいうと全ての人間は自由を求める。
だから他者から予測されるような紋切り型から、
できるだけ自由でありたいと人は思う。
少なくとも歴史のクリスチャンの文学者も
そのように考えてきたと思う。
その取り組みの中で、結局、紋切り型に陥る、
というのは何も問題はない。むしろそこに
たどり着くのが重要という面も少なからず
あるのかもしれない。
だけど、個々具体的な人生の取り組みの中で葛藤し、
解決の道筋を見つけていくという取り組みは、
結局、一人一人が神様からの応答としての回答を
与えられていくしかない。私はそう思う。
