先日、日本の高校生数名からSNSのメッセージで質問をいただきました。

学校の授業(たぶん「総合的な探究の時間」)で発展途上国での開発協力や寄付、募金などについて調べているそうです。

このブログやInstagramを見て、直接話しを聞きたいと思って連絡をくれたとのこと。教室の中だけ、教科書の上だけで終わらせず、外の世界へと広がっていく勉強は、本当に意義深いものだと思います。

そして何より、直接話を聞くために見ず知らずの僕に連絡をくれる高校生の行動力がすごい!

SNSで気軽にメッセージが送れるとはいえ、自分が高校生だった頃こんな行動力はありませんでした。

帰国後に関わる子どもたちには、こんな行動力を身につけてもらえるような授業をしたいな。

さて今回は、高校生たちからもらった質問に答えていきたいと思います。こうして質問してもらえると、僕自身の考えも深まります。メッセージをくれた生徒の皆さん、ありがとう!

  寄付や募金はちゃんと現地に届いて、役立っているのですか?

協力隊活動をする中で「小さなハートプロジェクト」を活用させてもらいました。これは日本からの募金を使い、協力隊員が現地に必要なものを届けるというものです。

加えて日本の学校で集めてもらった教材なども、貧しい地域の学校に届ける予定です。

振込手数料や運搬費、スタッフへの給与や活動費等にあてられる部分もあるでしょうから、募金が100%全額現地の人に届いているわけではないかもしれません。

ですが活動費がなければ、現地の人たちのニーズを調べることもできません。振込手数料や運搬費も同じように「必要経費」でしょう。どんな形であれ、発展途上国の支援のために使われているのは確かだと思います。

難しいのは「役に立っているか」という質問です。

何をもって「発展」というのか、「豊か」というのかがわからない。先進国から見たら「貧困」でも、現地の人は特に困っていなかったりする。

それに、先進国に近づくことが必ずしも「発展」ではないかもしれない。

道路をコンクリートで覆えば車はガタガタ揺れずに走れるけれど、照り返しでヒートアイランド現象が起こり、エアコン無しでは生活できなくなってしまう。
車は揺れるけど、照り返しはない。

水洗トイレの方が清潔そうだけど、断水で流せなくなるくらいならボットントイレの方が便利。
水が止まっても問題なし。

手動で車のホイールを叩いて学校のチャイム代わりにすれば、停電しても関係ない。
配属先のチャイム。停電しても関係なし。

日本人から見たら不便なものでも、それは「不便」ではなくて、その場所や環境に合わせた「便利」なものかもしれません。

それに、近年叫ばれている”持続可能性”の観点から見れば、少ない電気や水で生きていけるウガンダの方が、日本よりも発展しているかもしれません。

何をもって「役に立っている」と言ったらいいのか。ここから考え始めないといけないのかもしれませんね。

  現地の人達にとって一番必要なものはなんですか。

国や地域が違えばニーズも変わってくると思うので、一概には言えません。

同じウガンダでも、僕の生活しているンデジェと首都カンパラでは、ニーズは全く違います。

カンパラにはケンタッキーも日本食レストランもあるけど、ンデジェに住む人には「ハンバーガーって何?」と言われてしまいます。

ンデジェにいると月に300,000シリングあれば十分暮らせるけど、同じ金額がカンパラだと3日でなくなります
首都の日本食レストランでカツカレー。これだけでンデジェでの1週間分の食費くらい。

首都の中ですら、例えば先進技術を学んで医療環境を改善していきたいお医者さんと、仕事を見つけられずにスラムで暮らしている人ではニーズは違うでしょう。

ただ、誰に聞いても「一番必要なのはお金」と答えるんじゃないかと思います。どこにいても、毎日のように「ンパセンテ(お金ちょうだい)」と言われます。

でも「必要」と言われたからといって、そこでお金をあげてしまったら、そのお金を使いきったら終わり。「また貰えばいい」と思われてしまうかもしれません。

魚をあげるのではなく、魚の釣り方を教える」ことが大切だと言われます。

ただお金をあげるのではなく、仕事につけるだけの技術を伝えて自分で稼げるようにする。もしくは現地に仕事を生み出す。

これが「現地の人達にとって一番必要なもの」かもしれません。

  これからの発展途上国支援に大切なことはなんですか。

現地の人と話すこと」「支援ではなく協力すること」の2つが大切ではないかと思います。

先程も書いたように、先進国の視点で見ると「足りない」ものが、現地の人からすると「いらない」ものだったりもします。

現地で、現地の人達と同じように生活し、現地の人達の目線で考える。

先進国の視点で決めつけてしまわずに、現地の人とよく話して何が本当に必要なのかを学び取る。

こうしたコミュニケーションが、意味ある支援を行うためには必要不可欠だと思います。

支援ではなく協力」というのは、以前の記事に書いたことです。

支援=助けるという言葉には「先進国の生活に近づけてあげる」という上から目線なニュアンスが含まれているように感じます。

ですが協力という言葉に含まれるニュアンスは「助け合い」。助ける側、助けられる側という上下関係はなく、ともに新たな価値を創造していくパートナーというイメージです。

最近、今の日本を表した「衰退先進国」という言葉を目にします。発展・衰退を上下の軸だけで考えたら、この言葉は間違っていないかもしれません。

だからこそ「協力」して、日本も発展途上国から学ぶ。ともに新たな方向への変化=発展を模索する。

「発展途上国」にとってだけでなく、「衰退途上国」にとってこそ、「協力」が大切ではないかと思います。

  まとめ

と、偉そうに書いてきましたが、日本にいるときは「途上国の人たちはかわいそう」と素朴に思っているだけでした。

ここに書いてあることは、協力隊に参加し、ウガンダに来てみて初めてわかったことばかりです。

教科書や教室の中だけに閉じこもってしまわずに、自分から外に飛び出す。自分の目で世界を見る。そして自分の世界を広げていく。

何よりも大切なのは、こうした行動力ではないでしょうか。

SNS上とはいえ、教室の外を知ろうと行動する。教科書の上で終わらせず、自分の力で探求する。

そんな彼らがつくる未来の日本はきっと「衰退途上国」なんかじゃないでしょう。


↓↓↓ブログ村ランキングに参加しています。クリックで応援して頂けたら嬉しいです。世界各地で活躍する同期隊員のブログも、ぜひ御覧ください!