前回の記事でも書きましたが、 

コロナワクチン3回目接種のため、8月18日から26日まで日本に一時帰国してきました。

約10か月ぶりの日本。やっぱり日本はいいなと思う一方、ここはウガンダのほうがいいなと感じることもありました。

久しぶりの日本で感じた日本の良さ・悪さについてまとめたいと思います。

今回の記事は「初めて気付いた日本の悪さ」についてです。

  気候の過ごしやすさはウガンダ圧勝

覚悟はしていましたが、日本の夏は暑い… 赤道直下とはいえ標高が高く、コンクリートジャングルでもないウガンダの方が、はるかに過ごしやすいです。

ウガンダの気温は日中でも30℃くらい。雨季と乾季はありますが、気温は一年中だいたい同じです。湿度もそれほど高くないのでとても過ごしやすい。

でも日本の暑さはなんというか、ジメジメとまとわりついてくる感じ。常にビニールハウスの温室にいるように感じました。少し歩くだけで汗だく。エアコンが無いと生きていけません

でもエアコンを使うせいで温暖化やヒートアイランド化が進むという悪循環。エアコンを我慢すれば?とも思いますが、エアコンを使わないと熱中症で命の危険も。どうしたらいいのか…

コンクリートジャングル東京。室外機からは熱風が…

これでも涼しくなってきたというのだから、気候的な過ごしやすさはウガンダの圧勝です。

  明るすぎる

成田に着いて、最初に「眩しい」と思いました。太陽が出ているのにそこら中の電気がついているからです。

町中を歩いていても同じ。コンビニも駅も看板とかも、そこら中で電気がつきっぱなし。こんなに明るくする必要はあるのでしょうか?

そして夜も明るい。ウガンダ(ンデジェ)では、7時を過ぎたら懐中電灯を使わないと歩けません。でも東京では、真夜中でも懐中電灯なんて一切必要ありません
東京の夜景。きれいだけど、その分地球を汚していると思うと…😢

東京でも電気をつける量を減らしたり、つける時間を制限したりしても、大して不便にはならないのではないでしょうか…

  包装が多い=ゴミが多い

日本食やお土産など、ウガンダに持っていくためにたくさんの買い物をしました。

それをスーツケースに詰める際、そのまま入れると重いしかさばるので、なるべくパッケージを捨てて詰めました。

そのときに出たゴミの量が、まぁ多いこと多いこと。大きめのゴミ袋がいっぱいになってしまいました。
お土産。二重三重の包装が全てゴミに…

確かにきれいな包装がされていると嬉しいし、その方が買う人も多いでしょう。でも実はそれは売上を上げるための包装で、絶対必要なものではない。

日本の商品は「きれい」「便利」なだけで「必要」はない、過剰な包装が多すぎるのではないかなと思いました。

こういうものを我慢して環境負荷を減らしていくべきではないでしょうか?

このニュース↓↓↓

にあるような量り売りのお店が増えていくといいなと思います。

  必要ないのに買ってしまう…

おみやげを買いに100円ショップに生きました。御存知の通り、100円ショップは楽しいです。いろいろな便利グッズが売っています。

店内を見ていると、「これ便利そう!」「これは面白い!」などと買いたいものがどんどん増えていきます。
見ているとどんどん欲しくなってしまう…

でもよく考えたら、買いに来たのはお土産。大抵のものは本当に必要なものではありません。それでも欲しくなってしまう

同じような体験を、スーパーでもコンビニでもしました。必要はないのに、見ていると欲しくなる。

日本のお店や商品には、「ほしい!」と感じさせる工夫がたくさん隠されているのだろうなと思いました。

これはウガンダのお店に真似してほしいところである一方で、やりすぎて無駄な大量消費につながってしまっているのではないかなとも思いました。

必要ないものは買わないと決めるだけで、ゴミの量が減り、生産量が減り、環境への負荷が減るのではないでしょうか。

  そこまで自動化しなくても?

ンデジェで自動化されているものといえば…レストランの電子レンジくらい?

日本には自動で動くものがとても多いですね。自販機はもちろん、改札も、ドアも、入国審査も、外貨両替すら自動でした。自動運転車も増えてきているようです。
自動外貨両替機。便利だけど…

便利でいい一方、そこまで自動化する必要はあるのか?とも思いました。AIに仕事を奪われると言われていますが、AIを導入せずに手動にすればいいのでは…そして多くの人に仕事をしてもらえばいいのでは

人件費を削減できる、人間が楽できるというのはもちろんわかりますが、人と人との関わりが少なくて悲しいな、とも感じました。

  情報量が多すぎる

一節によると、現代人が一日で受け取る情報(テレビ、ラジオ、スマホ、看板の広告など)の量は、江戸時代の人の1年分、平安時代の人の一生分だそうです。

ンデジェで得る情報量は明治時代くらいでしょうか。1週間東京で生活してみて、確かに目や耳から入ってくる情報がかなり多いなと感じました。

情報が多いのはいいことだけど、多すぎると疲れてしまうかも。広告うとか店内放送とかを少し減らして、静かに自分の頭で考える時間を増やすのもいいかもしれません。



経済発展とは、社会の中でのお金の回転を速めること。だから無駄を増やすことでもあるのかもしれません。「必要」はないけど「便利」なもの、「きれい」なものの消費を促すことでお金を回す量を増やしている。

無駄な消費を減らすことで、経済的には衰退するしGDPなどの数値の世界順位は下がるかもしれない。でも地球は守ることができて、100年後の人たちも幸せに生きていける。こういう世界に変えていくことはできないでしょうか。

必要な発展贅沢のための発展の間に境界線を引くことはできないものでしょうか。

今生きている私達が贅沢な暮らしをするために、100年後の人たちから幸せを奪っているのではないか。久しぶりの東京で、そんな風に感じました。

みなさんはどう思いますか?

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