コロナ禍ヒマだから【世界一周】の旅をしてみた 

足かけ約10年、世界63の国と地域を渡航。

コロナ禍で渡航できなくなった今、201X年と想定し、今まで渡航した国・地域を結び「世界一周」をしてみました。

※1 記事の情報は2016-20年の、コロナ禍前ものでございます。

※2 移動手段等もコロナ禍前のものでございます。

※3 基本実際に移動したルートで構成されていますが、一部ルートをつなぐために実際に使用していない移動手段も含まれています。

201X年6月22日(火)7カ国目【ミャンマー】3日目

 

201X年6月22日、世界一周22日目。

 

ミャンマー3日目の朝は、ヤンゴンから北へ約600km、バガンのバスターミナルで迎えた。

 

昨日の夜、ヤンゴンの「アウンミンガラー・ハイウェイ・バスステーション」から、車体はやや古いものの、3列シートのバスで快適な睡眠を取りながら、早朝4時過ぎにバガンのバスターミナルに到着したのであった。

 

 

「世界三大仏教遺跡」の一つである「バガン遺跡群」は、11世紀から13世紀にかけてバガン王国時代に築かれたものである。

 

広大に敷地に、多くの遺跡が点在している。

 

まずは予約していた「ニャウンウー村」の「宿」に行くと、どうやら「電動スクーター」をレンタルすることができるようで、広大に遺跡群を廻るにはどっちみち必要だったので「電動スクーター」をレンタルし、遺跡群を廻ることにした。

 

「電動スクーター」は音がそれほど出ず非常に静かな上、ガソリン車よりはやや馬力は弱いものの、特に問題なく移動することができた。ただ、バッテリーが切れかかると、一旦「宿」に戻り、充電するか、他のバイクにチェンジしなければならなかった。

 

 

ホテルやレストラン、スーパー(小売店)などはこの「ニャウンウー村」に集中している。

一部の限られたホテル(最高級ホテル)などを除き、「遺跡群」のなかに(基本)建物を建設することができない。

その「ニャウンウー村」から離れた「ミィンカバー村」の遺跡にまず向かって、約5km(約20~30分)ほど「スクーター」を走らせた。

 

 

まず最初に目に入ってきたのは「ミンガラー・ゼティ」。バガン王朝最後の仏塔。

1284年に建立されたが、その約10年後にモンゴル群の侵攻によりバガン王朝は終焉をとげる。

 

ミャンマー最古とされる壁画が残る「グービャウッヂー寺院」

 

「ミャゼディ寺院」の〝世界の記憶〟に登録された「碑文」。

「ミャゼディ碑文」呼ばれるこの「碑文」の四面には、ビルマ語・モン語・パーリ語・ピュー語で刻まれており、「ピュー語」の解明に役立ったとされる。

 

「マヌーハ寺院」の窮屈そうな仏像。

 

 

 

 

次に「バガン遺跡群」の中心である「オールド・バガン」に向かった。一般に「バガン」とは、この「オールド・バガン」のことを指す。

 

まずは9世紀に建てられた城壁の名残である「タラバー門」が出迎えてくれる。

 

オールド・バガンで最も高くそびえ立つ、1144年に建立された高さ65Mの「タビィニュ寺院」

 

バガン遺跡を代表する、最大かつもっとも美しい建築される「アーナンダ寺院」

 

「アーナンダ寺院」にある、4体ある仏像のうちの一つ、「釈迦牟尼仏」。

手前の人と比べると、その大きさに圧巻される。

 

エーヤワディー川のほとりに建つ、バガン朝以前(7~8世紀)からある仏塔、「ブー・バヤー」。

エーヤワディー川に沈む夕日がとても美しいらしいが、雨季の今日はあいにくの雨であった。

 

 

もう遺跡おなかいっぱいである。

 

これで主要な「バガン遺跡群」の半分にも満たないぐらいの広大な敷地である。

 

アンコールワット遺跡群同様、1日では廻りきることは到底不可能である。

 

明日、「マンダレー」に向かおうとしたが、ここはもう1泊延泊し、せっかくだから明日、残りの遺跡をできるだけ見学することとした。

 

 

 

 

 

※本記事は2021年以前の情報です。ご旅行の際は必ず最新情報をご確認ください。

 

【追記】Photo等は2017年にミャンマーに渡航した際のものを使用しております。

 

【現在の状況(情報)】

2021年2月1日ミャンマーではクーデターが発生し、同月ミャンマー国軍は1日、国家の権力を掌握したと発表。以後、現在も緊急事態が宣言されいる。ご旅行の際は必ず最新情報をご確認ください。

 

【ビザ】日本国民には、観光査証免除の試行として2018年10月1日から2020年9月30日入国分まで実施されていた。ご旅行の際は必ず最新情報をご確認ください。

 

ミャンマービザ