コロナ禍ヒマだから【世界一周】の旅をしてみた 

足かけ約10年、世界63の国と地域を渡航。

コロナ禍で渡航できなくなった今、201X年と想定し、今まで渡航した国・地域を結び「世界一周」をしてみました。

※1 記事の情報は2016-20年の、コロナ禍前ものでございます。

※2 移動手段等もコロナ禍前のものでございます。

※3 基本実際に移動したルートで構成されていますが、一部ルートをつなぐために実際に使用していない移動手段も含まれています。

201X年6月18日(金)5カ国目【フィリピン】2日目

 

201X年6月18日、世界一周18日目。

 

午前10:00ちょうどに〝マキノ〟という男がホテルに迎えに来た。

 

フィリピン人がきちんと時間を守る性格なのか、その〝マキノ〟という男がきちんと時間を守る性格なのかは分からないが(おそらく〝たまたま〟であろう)、約束の午前10:00ちょうどに〝マキノ〟という男があらわれたのであった。

 

〝マキノ〟の車でマニラ・シティから北上し、「スモーキーマウンテン」を目指した。

 

北上していくと、スペイン植民地の名残であろうか、「サン・なんちゃら」や「ラ・なんちゃら」という地名が多く見らる。

 

車を走らすこと1時間。幹線道路から一歩中に入り、畑が広がる舗装されていない道を少し進むと、いわゆる「スモーキーマウンテン」がすぐにあらわれた。

 

もっと奥地にひっそりと存在するものと思いきや、舗装された幹線道路を共存するようにその「スモーキーマウンテン」のスラム街は存在するのであった。

 

目の前の「景色」をどう解釈するかは個々人異なるものであるが、決して「見世物」でないその目の前の「景色」を申し訳なく写真に数枚だけ残させてもらい、フィリピンでの〝ミッション〟を終えることにした。

 

 

 

帰り、「ハロハロ」が食べたいと〝マキノ〟という男にお願いをし連れて行ってもらった。

現地の人は「ハロハロ」なんて食べてもそんなに嬉しくないだろうと思いきや、〝マキノ〟は満面の笑顔で「ハロハロ」をほおばっていた。

 

 

ホテルに戻り、約束の金額とプラスαのチップを手渡すと、「ハロハロ」の時と同じ満面の笑顔で受け取った。

 

 

「ハロハロ」と「ペソ(フィリピンの通貨)」が同じ「レート」であったことで、始めて、そして最後に〝マキノ〟という男を信頼できたのであった。

 

 

 

 

1日時間があるなら、マニラから南西に約45km、マニラ湾に浮かぶ「コレヒドール島」に行くのもよいかもしれない。

 

スペイン統治下時代、この島で外国船の入国管理が行われたいた。ちなみに「コレヒドール」はスペイン語で「厳しく管理する」という意味らしい。

 

その後、日本軍によって占領されたが、連合国軍のあのマッカーサー将軍によって奪還され、1945年日本軍のフィリピン支配は幕を閉じるのであった。

 

その「コレヒドール島」へは、マニラ市沖の港からフェリー(1日1便)が出ていて、日帰り観光が可能である。

 

港を出航し、マニラ湾に出ます。

 

バックには、マニラ市の巨大ビル群が眺められます。

 

小一時間ほどすると、眼前に「コレヒドール島」が見えてきます。

 

 

米比連合軍が兵器庫として建造し、米軍司令部として使用されていた「マリンタ・トンネル」

歩いて入ることが出来ます。また、ちょっとしたエンターテインメント・ショーが見られます(しょぼいですが…)。

 

マニラ湾を見守ってきた砲台。

 

 

※本記事は2021年以前の情報です。ご旅行の際は必ず最新情報をご確認ください。

 

【追記】Photo等は2004年にフィリピンに渡航した際のものです。