コロナ禍ヒマだから【世界一周】の旅をしてみた 

足かけ約10年、世界63の国と地域を渡航。

コロナ禍で渡航できなくなった今、201X年と想定し、今まで渡航した国・地域を結び「世界一周」をしてみました。

※1 記事の情報は2016-20年の、コロナ禍前ものでございます。

※2 移動手段等もコロナ禍前のものでございます。

※3 基本実際に移動したルートで構成されていますが、一部ルートをつなぐために実際に使用していない移動手段も含まれています。

201X年6月14日(月)2カ国目【中国】6日目

 

201X年6月14日、世界一周14日目。

 

早朝、陝西省の省都「西安(シーアン)」に到着した。

 

西安はかつて「長安」と呼ばれ、「シルクロード」の起点として繁栄してきた都市である。

また、あの有名な「兵馬俑」など中国歴史を「体感」するにはとっておきの都市でもある。

 

かの有名な「秦始皇帝兵馬俑」がある都市が「西安」。

 

 

その「西安」に今朝、列車にて到着したのであるが、「寝台」でまともに寝ることが出来なかった。

 

昨夕、あの〝独房酒店(ホテル)〟のおっちゃんが手配してくれた列車のチケットは「本物」で、ちゃんと列車に乗車することが出来たのであったが、すでに北京駅ではその乗車する列車はすでに入線しており、出発の10分ぐらい前に予約していた2等寝台の自分のベットへ向かった。

すると、自分のベットであるはずの三段ベットの下段におっさんが寝ているではないか。

たしかにそのベットは自分のチケットに該当するもので間違いはない。

その旨をおっさんに伝えると、「上の三段目(上段)があいてるから、お前はそこに寝ろ!」との指示。

2等寝台は、下段・中段・上段の三段寝台となっており、値段ももちろん異なる。居住性が良い1番下の「下段」は他の段より値段も少々高い。その奮発して買ったその「下段」におっさんが寝ているのである。

散々文句を言って、おっさんはしぶしぶ自分の本当の住処である三段目(上段)に移動したが(なんで「しぶしぶ」の顔をしているんだよ!)、自分が寝るべきベットのシーツはすでに乱されていた。

 

中国の2等寝台。三等車や座席車に比べるとまだ「天国」。

 

三段目ベット☓2の6人コンパートメントであるが、「旅は道連れ」なのか、「外人」である自分を除く5人が酒盛りをはじめだし、寝ている自分の「頭」の上で「中国語」が延々と、しかも大声で鳴り響き、結局間接的に自分も「道連れ」にされることとなったのである。

 

そりゃ、寝りゃしない。

 

夜明け前に「西安」駅に到着し、駅前の広場でバックパックを「枕」に、爆睡をしたのであった。

 

西安「陸」の玄関口、「西安」鉄道駅。

 

気がつくと3時間ばかり寝ていたであろうか。

目を覚まし、あらかじめ目星をつけていた「国際青年旅舎」(ユースホステル)に向かい、問題なくチェックインでき、西安に2泊した後、次の「街」に向かうためのエアー・チケットを押さえ、明日西安「観光」を行うこととした。

 

西安の中心に鎮座する「西安」のシンボル「鐘楼」。

 

 

 

 

 

 

雲上に浮かぶチベットの中心地 チベット自治区ラサ(拉薩) その

 

前回の続き……

小生が「チベット自治区」の「ラサ」に行ったのは、2007年の夏のことである。

 

現在、外国人がチベット自治区内を自由に行くことはできないが、青蔵鉄道(青海チベット鉄道)が全線開通した翌年の2007年は、中国ビザと外国人入境許可証さえあれば、個人で鉄道チケットを購入し、域内を旅行することが可能であった。

 

現在、政治的問題が取り沙汰されているチベットであるが、小生が入境した当時は、青蔵鉄道(青海チベット鉄道)全線開通とのこともあり、観光客に対しては非常に緩やかであったが、チベットの「中国化」への序章はもうすでに始まっていたように思えた。

 

 

ラサ中心部、海抜3700Mに位置する、チベット仏教の総本山「ポタラ宮」。

紀元前7世紀頃に造営されたダライラマの冬の宮殿で、チベット仏教及びチベットの在来政権における中心的な役割を果たしていた。

1950年代に勃発したチベット動乱により、1959年3月、ダライ・ラマはヒマラヤを越えインドへ亡命し、亡命政府を樹立(現在も存続中)。一方、中国政府はポタラ宮を接収し、現在は政府の管理下におかれている。

1994年周辺の遺跡と合わせて世界遺産に登録される。個人的評価はもちろん[★★★★★]。

 

 

「ポタラ宮」前で「お祈り」を捧げるチベット人。

 

 

ラサの商業の中心、大昭寺付近。すでに中国化が進み「漢字」文字が中心となりつつあった。

なんでこんなところに「ハンバーガー」屋が、、、。

 

 

それでも、チベット人の人々は熱心に祈りを捧げるのであった。

 

 

バスで1時間ほど行ったところにある、デプン・ゴンパ(哲蚌寺)。最盛期には1万人の僧侶が修行をしていたという。

 

遠くには「ヒマラヤ山脈」がのぞめます。ここチベットを拠点に、「ヒマラヤ」を越えて「ネパール」を目指すパッカーさんも多くいました(四駆とドライバーをチャーターし、集めた人数で直接交渉するという方法でした)

 

歩いて小一時間ほど行ったところにあるセラ・ゴンパ(色拉寺)。

ちょうどお坊さんの修行の時間でした。

片方のお坊さんが「問題」を出し「さぁ、答えられるか!」と問いかけ、もう片方のお坊さんがその「答え」を言う、という修行らしい。

 


問「日本国憲法の第25条は?」パシッ! 答「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」 みないなものでしょうか?

 

チベットの人々。

 

 

 

 

 

 

※本記事は2021年以前の情報です。ご旅行の際は必ず最新情報をご確認ください。

 

【追記】Photo等は2007に中華人民共和国・チベット自治区に渡航した際のものです。

 

【現在の状況(情報)】

【チベット自治区】

2020年現在、外国人がチベット自治区内を自由に移動することは出来ないとのこと。

チベット自治区へ行くには入域許可書が必要であり、取得するためには、 現地ホテル・送迎車・ガイドなど、政府に認可された旅行会社を通して手配し、 日程や名前などを申請しなければならないとのことです。