客猶憤りて曰く、明王は天地に因って化を成し、聖人は理非を察らかにして世を治む。

世上の僧侶は天下の帰する所なり。

悪侶に於ては明王信ずべからず、聖人に非ずんば賢哲仰ぐべからず。

今賢聖の尊重せるを以て則ち竜象の軽からざることを知んぬ。

何ぞ妄言を吐きて強ち誹謗を成し、誰人を以て悪比丘と謂ふや、委細に聞かんと欲す。

主人の曰く、後鳥羽院の御宇に法然といふもの有り、選択集を作る。

則ち一代の聖教を破し遍く十方の衆生を迷はす。

其の選択に云はく

「道綽禅師聖道・浄土の二門を立て、聖道を捨てゝ正しく浄土に帰するの文、始めに聖道門とは之に就いて二有り、乃至之に準じて之を思ふに、応に密大及以実大を存すべし。

然れば則ち今の真言・仏心・天台・華厳・三論・法相・地論・此等の八家の意正しく此に在るなり。

曇鸞法師の往生論の註に云はく、謹んで竜樹菩薩の十住毘婆紗を案ずるに云はく、菩薩阿毘跋致を求むるに二種の道有り、一には難行道、二には易行道なりと、此の中の難行道とは即ち是聖道門なり。

易行道とは即ち是浄土門なり。

浄土宗の学者先づ須く此の旨を知るべし。

設ひ先より聖道門を学ぶ人なりと雖も、若し浄土門に於て其の志有らん者は須く聖道を棄てゝ浄土に帰すべし」と。



通釈

客は怒って言う。

明王は法則に従って世を治め、聖者は善悪を分別して社会の繁栄に努めている。

世の僧侶たちは多くの人達が帰依する立派な人達である。

悪い僧侶ならば明王は信じないし、徳がなければ賢人は尊ばない。

いま聖者や賢人たちが尊んでいるのだから、その僧侶たちは徳も高く立派なのだ。

それなのに出任せに誹謗して、一体誰のことを悪い僧侶だというのか。

その理由を聞きたい。

すると主人は次のように答えた。

後鳥羽上皇の時代に法然という者がいた。

選択集という悪書を書いてお釈迦様の教えを破壊し、人々を迷わした。

その選択集には、中国浄土宗の道綽は、仏法の浄土門と聖道門の二つに分けて、「浄土門だけを信ぜよ」と説いている。

聖道門には大乗と小乗があり、また、真言・禅・天台・華厳・三論・法相など、念仏以外のすべての教えが含まれ、それらを捨てよと述べている。

中国浄土宗の曇鸞は、竜樹の毘婆紗論に菩薩が不退の位を求めるのに、難行道と易行道の二つがあるとの言葉を解釈して、易行道とは浄土の教えであることを念仏を学ぶ者は知るべきであり、譬え今まで聖道門を学んできた人でも、志があるならば聖道門を捨てて浄土門に帰依しなさいと述べている。