
リスクコントロール。
コロナ渦で感染リスクをどうコントロールするか、分科会やアドバイザリーボードの学者や専門家が総理や厚労相、担当相へ提言し、最終的に総理他関係閣僚がある種の思惑としがらみに引き摺られ方針を決定しその施策を施行する。
そして施行された結果を受けメディアは国民の信頼や不安を取り除く為にもっと説明を丁寧にすべき、もっとリスクコミュニケーションを行うべきと意味不明な言葉を連呼し続けている。
それを受けてか議員達も同様な言葉を口を揃えて吐き続け、無能な醜態を晒し続けている。
政府や地方自治体が行うリスクコントロールに限らず企業や学校等でもリスクコントロールを行う場合、
いきなり丁寧な説明やコミュニケーションを行ったところでリスクをコントロール出来るわけではない。
短期的なリスクコントロールであれば説明やコミュニケーションで何とかなるやもしれないが、
新型コロナウイルス感染症の様な長期的リスクコントロールとなった場合、ガバナンスによりコントロールを行う他無いはずである。
それが出来ない無能無策、幼稚で稚拙な者達が国や地方自治、企業、学校等をコントロールするとなった場合、法や規約、校則等を新たに作り責任をコントロールされる側に押し付ける結果となる。
元来日本人は欧米人等に比べ、ガバナンスによりコントロールされる事に何ら違和感を感じ反発心を強く抱く様なタイプではなく、
そうする事が結果国民の為となり、自身の為にもなると言動が出来る国民性である。
がしかし、安倍政権時や菅政権の様に自身や取巻き、お友達企業経営者の有意義な利益を優先している様な有様を赤ら様に見せ付けられ、施策施行の結果もそれに準じた結果となれば、自ずとガバナンス効果は低下し、国民は自己の都合のみを優先する様になる。
これは企業や学校等にも言えるはずである。
ガバナンス能力の無い安倍前総理や菅総理、更には彼らに任命された大臣や専門家達が何を言おうが、説明をしようが、
ガバナンスの効力が無い状況下では聞く耳を持たない国民の方が多数を占める結果となる。
そうなった場合に無策無能、幼稚で稚拙な権力至上主義者達は結果責任を国民に押し付け、自身達は責任逃れすべく法により国民を縛り付けようとする。
それが現状でしょう。
企業や学校も同様で、何故か企業経営者や学校運営側、教育委員会側が就業する者や教育を受ける者、そしてその家族側にコンプライアンス遵守を強要し、自身達の為のガバナンス構築のみを思考する。
就業する者達や教育を受ける者達、そしてその家族はガバナンス意識は無く、企業経営者や教育を運営する側にコンプライアンス遵守を求める術も持てず、今も尚企業や学校で意味も分からず雁字搦めな状況に置かれている者達が多い。
結果企業では多数の問題を抱え、学校等ではイジメで苦しむ子供達が危険な状況にまで追い遣られている。
国や地方自治を司る者、企業を経営する者、学校を運営する者はコンプライアンスを自らが遵守し、ガバナンスを皆に周知させる事が出来なければその職に着くべきではなく、
それが出来なければ法や規約、校則で雁字搦めにすると言う幼稚で稚拙な考えは、後に危機的状況を国や地方自治、企業や学校等に引き起こすものと理解すべきである。
コンプライアンス意識が有りガバナンス能力があれば。森加計事件も桜を見る会事件も、誰ぞやの息子絡みの接待疑惑も起こらなかっただろう。
コンプライアンス意識が無く、自身達の為のガバナンス意識が強過ぎた結果が、ああ言った事件や疑惑を引き起こし、今のコロナ渦を招いたと断言できる。
その状況で説明だのコミュニケーションだのと言う言葉を垂れ流すメディアや議員の陳腐差には呆れると言うか、虚しさまで感じざる負えない状況である。
現状日本でのコロナウイルス感染症について、未だリスクコントロールはなされていない。全てが「たまたま」であって、国民の多くが惰性的で楽観的になっている。
ワクチンではなく特効薬的な薬が出来るまではワクチンを2回以上接種していたとしても自ら徹底したリスクコントロールを行うべきであると私は訴える。
追記
次の総理にはコンプライアンス遵守意識があり、ガバナンス能力が高く、想像力豊かな人物を望みます。