名参謀頭首にあらず。

参謀たる者は参謀であって、それ以上でもそれ以下でもない。

本当の意味での頭首となれる者は、参謀であるべき者を引き寄せる事が出来る者であり、

安倍晋三氏が頭首で有り続けられたのは菅義偉氏と言う参謀を得られた事が一つの要因だろう。

ただ菅義偉氏が名参謀であったかは疑いが残るところでは有るが。

なぜなら名参謀であったなら、森友加計問題や黒川前検事長問題等の問題は無かったはずであったと考える事が出来る。

その参謀を次期総理総裁へとする声もある様だが、

それは無能な者の知恵としか言いようがない。

頭首は担ぎ上げられ踊らされる能力も必要であるが、

参謀たる者は、踊る頭首を横目に、冷静沈着に職務を全うし結果へと繋がる段取りを提言する能力が必要とされる。

言い方を変えれば、名参謀となればなる程、自身の参謀たる能力が邪魔をし、他の者達の声が聞こえなくなり孤立する可能性が高くなるのである。

良い言い方をすれば、周囲を気にせず自身の考えで事を推し進められると言えるが、

悪い言い方をすれば、自己中心的になりやすい。と言う事になる。

菅義偉氏が自民党総裁になった場合、

参謀として培って来た能力を誰の影響も受けず発揮されるのか、

それとも今までどうり、権力者に寄り添い上手く参謀のフリをしてきた様に振舞えるのか、

菅義偉氏が、ただ参謀のフリをしていたとするならば、

短命でも喜び勇んで総理総裁に後先考えず担ぎ上げられ、後に自民党大敗の汚名を背負う事となるだろう。