政府も給付型奨学金の検討に入ったとの事だが、成績が良くなければ対象にならないとか。

一方では、成績は親の収入に比例するような報告もされているのに、何故成績を要件に入れるのか。

言うまでもない。役人と言われる方々や議員と言われる方々の思考や思想が未だに江戸時代から明治辺りで止まっているからでしょう。

格差をつけることで人を操る。役人や議員が国のトップで次は⚪⚪。その次は⚪⚪みたいに。

貧乏で勉強もなんとか高校まで行ったが就職は派遣のみ。これを望むのは、企業と国ではないだろうか。

昔、士農工商と言う差別に繋がる言葉があったが、まさしく現政権はこれを行っている。

口では上手に誤魔化しているが、結果が物語っている。

独裁的に事を成そうとする際、頭がいい国民ばかりでは成し得ない。

国民に格差を付け、下には下がいる的な手法をとり、権力と利権と金を集中させ、金と嘘で国民を誘導する。

知識と思考、思想が薄い国民は騙されやすく、ナショナリズム等に流されやすい。
そこを上手く利用し、切り捨て派遣労働に回され、政治的に迫害を受けていることにも気付かされず、日々汗水流して得た給与から、多額の税金や保険料を抜き取られても何ら不思議とも思えないよう仕組まれているこにも気付かされていないままにしておき、選挙の時には、ナショナリズムを少し揺さぶるだけで政権側に意味も分からずなびくようにするためにも、学力格差は現政権と官僚にとって極めて必要な事なのだろう。

本来であれば、国の繁栄の為により多くの若者に学びの場を無償で提供すべきではないだろうか。学びの場とは、いわゆる学問だけではなく、工業であったり農業であったり、商業であったりと、あらゆる学びの場を無償や格安で若者に提供することが日本の未来にとって必要な事ではないだろうかと私は思う。