リアルタイムではバノウエ2日目の夜。明日には次の目的地Sagadaに移動します。

2月9日(日)(フィリピン3日目) マニラ観光

 7時ごろ起床。おかちゃんはまだ寝ているようだ。

宿のロビーに出ると、まだ誰もいない。そしてしばらくして、ドイツのおじいさんが起きてきた。マニラに3年ほど暮らしているという定年退職者。実は、オーバーステイらしい。

 おかちゃんが起きてきて、今日の予定について話し合う。

日曜日なので、Museo nacional de pueblo filipinoは入場無料。そのあと、スモーキーマウンテン(ごみ捨て場 かつスラム街)に行き、夕方の予約済みバスで次の土地バナウエに移動することに。

まずは国立博物館に。ここは博物館というよりはギャラリーだった。

風景画、油絵、彫刻、宗教美術などが並んでいる。

特にフィリピンらしいものが見つからなかった。スペインの影響を受けたと思われるものが多かったかな。


教会の祭壇におかれるやつ


これはバタンの行進。日本の学校ではそれほど深く教えられないと思うけど、フィリピンを占領していた日本軍が捕虜を長距離歩かせたという。そのさいに多数の死者が出たようだ。もちろんいい話ではないが、ここではフィリピンを身近に感じてしまった。


これは日本軍が現地人を略奪している様子。

ところで、フィリピンでは反日感情強いのかな?とくに、それを感じることはなかったんだけど、戦争を経験しているフィリピンの高齢者にはそういう思いがあるのかもしれないね。マニラでは1945年3月に米軍と日本軍の戦闘が行われて、市民が巻き込まれ、建物も破壊されている。
 
国立博物館を出て、インテルムロスの食堂でランチを取ることに。


城壁には、日本軍が駐留していたというバラックもある。


のどかに、カップルの写真撮影会が行われていました。



食堂のおばちゃん、日本語少し話せた。以前に日本人向けのフィリピンパブで働いていたりして、って思っちゃった。
 
フィリピンの食堂は基本、作り置きしてあって、好きなのを選ぶ。


僕のはこんな感じ。35ペソ。ボリュームは少なめかな。


食堂を後にし、歩きだす。

ふと、男たちが集まっている場所があった。そこは闘鶏場。


ここでは鶏を見極めているのかな?


そしてここが戦いの場。肝心の戦いはとれなかったんだけど、鶏のかかとにナイフをつけて、二匹の鶏に戦わせる。ナイフがささって、どちらかが動けなくなるまで試合は続いた。男たちは、どちらが勝つかに賭けをしていた。
 試合に夢中になる男たちの熱気がすごかった。

そして、次の目的地スモーキーマウンテンに向かう。そこは、ゴミ捨て場で、ゴミから使える物をあさる子供たちとスラム街が見れるという。
 もう閉鎖されて、何も見れなくなったと言う情報もあれば、まだ見れるという情報もあり、不安だったが、とりあえず向かう。
 ジプニーを乗り継いで、やっと到着。


あれっ ただの丘だわ。地面にはゴミが無数にあり、ところどころに質素な小屋があり、人が暮らしている。
 やはりここは閉鎖されて、近くにゴミ処理場が移動したようだ。

そちらへ向かう。

その途中にはスラム街が続く。


このドス黒い川に質素な家。見るのはいいけど、絶対住みたくないわ、ここ。

スラム街は小屋からアパート群に変わる。


電柱についたこのメーターの数々。球場のライトのように見えてしまう。


子供が無邪気に遊んでいたけど。入りはしなかった。

なおマニラはかなり広い都市で、僕らが見たスラム街はそのほんの一部です。

そして、ゴミ処理場に近づいて行く。

肝心の処理場は入れなかったんだけど、その近くにも、大量のゴミ。


もう臭いがヤバい。そして、銅線の絶縁部を燃やして、銅を取り出すこどもたち。

灰やほこりがふりかかる。夜行移動のために宿はチェックアウトしていて、シャワーは浴びれないのに。

Jollibeeで休憩してから、宿に戻る。今日も歩いて、くたくただ。だが、夜行バス移動、まだ休むことはできない。


宿の前のラーメン屋台でラーメンを注文。
この屋台が、日本のラーメン屋台にそっくり。のれんやちょうちんが。
近くに日本人がいて、どうやらその人がオーナーだったようだ。
味も日本並み。チャーシューの脂の乗りがちょうどよかったな。

Ohayami社の夜行バスは21時に出発。座席の間隔はせまめで、リクライニングもそれほどきかず。冷房が効いているのが唯一の救いだったか。