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3月7日(金)(フィリピン1日目)

 マニアの空港で無事入国審査を済ませる。

まだ時刻は朝の5時だ。明るくなってから、ダウンタウンへ出て、宿に行こう。

マニラではあの ブログ world runner で知られるおかちゃんに合流予定。彼はすでに泊まっているマニラの宿の詳細を送ってくれたので、そこに行けばいいだけ。

 空港でフリーWIFIがあったので、つい始めてしまった。そうこうしているうちに、もう6時。だいぶ明るくなってきたぞ。

 バスに乗り、EDSAの駅を目指す。ところが、この時間ですで渋滞している。しまった、もっと早くに動き出せばよかったか。アメリカならこんな時間は人気がなくて、逆に恐いくらいなのに。これがアジアのカオスぶりか。白人とアジア人どちらが早起きって言われたら200%アジア人と僕は答える。

 
バスを降りて、EDSA駅に向かう歩道橋の上から。これがフィリピンの乗り合いバス ジプニー。派手な車体に行き先がぎっしり書かれています。後部から乗り降りします。

 後悔はEDSA駅についたときに、先ほどの後悔はさらに強まった。

ものすごい人。ホームが人でごった返す。ホーム上を歩くのも大変。荷物もあるのに。まだ7時半ぐらいなのに。そして暑さも増してきた。汗が噴き出てジーパンが足にまとわりつく。

女性専用車両はすいていて、乗りたかったんだが。

来る列車は当然満員。結局2本見送って、3本目でやっと乗れた。

車内は冷房がきいていて、助かったが。

これがフィリピンか。新しい国に来た時の初めの方は、見るものすべてが新鮮だ。

ライトレールをQuirino駅で降り、宿へ歩く。

通りにならぶ食堂、リキシャー、そして小便の臭い。すべてがアジアらしい。

宿に付き、おかちゃんのドミへチェックイン。300ペソ。

フィリピンの通貨はペソ。1ペソ=2.2円。

初めの宗主国はスペイン。米西戦争の結果、宗主国はスペインからアメリカに変わった。公共語はフィリピン語や英語。そのほか、多くの言語も話されている。

アジアの中では比較的英語が通じる国だ。最近の世界一周旅行者の中には、このフィリピンで安く英語留学をする人もいるほどだ。いや、ブログでフィリピン検索をすると、その留学のことばっかりで、知りたいフィリピンの見どころなどあまりでてこないほどなんだ。

 タガログ語にはスペイン語からの借用語が多くて驚く。
コモエスタ(元気?)
パラ(止まって)
その他、スペイン語の数字はそのまま使われている。

でも日常的にフィリピン人が話すのはタガログ語。文法はヨーロッパ系の言語とは一線を画す。

起きたおかちゃんと朝食に出かける。


アジアらしく通りで食べる。


フィリピン初めの食事はこれ。
米、肉の煮込み、そして魚ベースの豆の煮込み。肉は甘辛く、豆はしょっぱい。

通りを歩いていて目につくのは、路上生活者とストリートチルドレン、そして物乞いの多さ。
14時間のフライトと時差ボケで疲れたのか、僕は宿にもどって休み。

目がさめれば、もう13時前。

おかちゃんとマニラの旧市街 イントラムロスへ出かける。


城壁に囲まれた旧市街。

そのとき、雨が降ってきた。3月は乾季でほとんど雨は降らないはずなのに。このマニラ大聖堂の前で雨宿りをする。


雨が上がって、大聖堂に入ろうと思ったが。。。がーん 改装中で立ち入り禁止。

周辺はツーリスティックなのか、リキシャーが声をかけてくる。
こんな庶民的な食堂も並ぶ。この建物、3階建てのようだ。2階、3階はかなりみすぼらしく見える。


スペイン人の家。博物館には入らなかったが、レストランや土産物屋が並び敷地内を散策する。スペイン統治時代に建てられた建物なんだろう。


サンアグスティン教会。今日は運が悪い。結婚式のために、部外者は立ち入り禁止。ここもマニラ大聖堂と他の教会と合わせて、一つの世界遺産に登録されている。


モニュメントの前で写真をとるフィリピン人のグループ。でも、彼らはこのモニュメントの意味をわかっているだろうか?1945年2月に行われた日本軍と連合軍のマニラでの市街戦で日本軍は敗退し、3年間に及んだ日本のフィリピン支配は終わった。この市街戦でなくなった市民を弔うためらしい。


フォートサンティアゴの入り口。内部はフィリピン独立の父リサールを祀る場所となっている。リサールはフィリピンを独立に導いた英雄。彼自身はスペイン留学、そして20ほどの言語を学んだという秀才。医学、詩、翻訳などの分野でもその才能を発揮したようだ。

 この要塞はスペインを支配していた国が変わる度に、オーナーも変わったようだ。スペイン時代、アメリカ時代、そして日本時代。。


 要塞からはこのパシグ川の眺めがいい。


これがリサールの銅像。


どこの国でも、独立に導いた指導者は英雄扱いされていますね。

日本は植民地支配を受けなかったから、そこを忘れがちなんですが。

さて、フォートサンチアゴを後にし、旧市街を歩く。


おそらくホームレスですが、こうやって、ハンモックでくつろぐ姿がときおりみられます。これ、網だけで、その間に布が入っていません。僕はこうしたハンモックでアマゾン河を横断する一夜を過ごしたのですが、かなり痛かった。
このおっちゃんはそれにももう慣れたのだろうか?


旧市街を取り囲む城壁に登る。城壁のすぐ横はゴルフ場になっており、城壁からゴルフ観戦ができるという面白い構図。この構図は初めてみました。
フィリピン人がくつろぐ場所にもなっていました。

スーパーで食材を買って、宿でおかちゃんと作る。
屋台で食べても、十分に安いので、節約という意味はなさないのですが。まあスーパーにも興味があったので。

ふうー、今日は疲れた。時差ぼけが少しあるし、よく歩いたし。そして暑かった。



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