リアルタイムではサンクリストバルデラスカサス1日目の夜です。標高が2200mのこの都市では寒い。
そして、町にはインディヘナと外国人でいっぱい。かなり異色の雰囲気です。
12月16日(月)(メキシコ再入国後13日目)
そして、町にはインディヘナと外国人でいっぱい。かなり異色の雰囲気です。
12月16日(月)(メキシコ再入国後13日目)
Posada Nacha'n Ka'anのドミで目を覚ます。
屋上に簡易的な屋根と壁をつけただけの部屋。隙間風が入ってきて夜中は寒かった。それに屋根にたたきつける雨の音も。
雨はまだ降り続いている。単なるスコールではなく、本格的な雨だ。
晴れれば、パレンケの遺跡を見に行きたいところだが、一向にその気配はない。
二人の日本人の女性バックパッカーが受付にやってきた。簡単なスペイン語の数字を話す以外は、すべて日本語を使うというつわもの。
その話しっぷりから、もしかしてと思ったら。。
やっぱり、コスメル島であったヨシコさんとエミさん。お互いにびっくり。
彼女たちは、パレンケ遺跡には興味なく、明日、グアテマラのフローレスに行くそうだ。
午前中はずっと雨が降り続いて、PCをしながら、待機。
昼ごろになって、二人と昼食にでかけた。
ちょっときれいだけど、安めのタコス屋で腹ごしらえ。お互い、コスメル島であってから今日までの境遇を語ったり、旅全般、日本での生活などなど。
看護師と薬剤師だという二人。帰っても、仕事は簡単に見つかるんだろうな、とうらやましく思う。
昼食後にやっと雨がやんだので、パレンケ遺跡に出かけた。
コレクティーボに乗り、遺跡の入り口へ。
入場料は84ペソ。
雨上がりのジャングル。しっとりとしていて、幻想的だ。
まず見えてきたのが、頭蓋骨の神殿。石段が上まで伸びている。名前の由来となる、ウサギの頭蓋骨のレリーフがあるらしいのだが。どこか分からなかった。
こちらは碑文の神殿。最上部に5つの部屋があり、中央の部屋に碑文の刻まれた石板が見つかったという。マヤ文字で刻まれたそうだが、どんなのだろうか?
さらに、墓室が発見され、パカル王と思われる遺骸とヒスイの仮面などが見つかったと言う。
これまでもトルム、チチェンイツァ、ウシュマルと遺跡を見てきたが、発掘物はその遺跡にはなく、どこかの博物館に展示されているようだ。だから、その発掘品を見れることなく、イメージがわかないままで終わってしまったことが多かった。今回もそうなりそうだ。
そしてパレンケ遺跡で最も目立つ建物の一つがこの宮殿。
中心には、塔があり、天体観測に使われたとか。
ここにいた人たちってどうな人だったんだろうか?
ほかにも似たような文明の都市があったのに、ここだけが運よく残っていたとしたら、特別なものでもない。
逆にここだけが特別で、運よくそれが残っていたとしたら。
ただ、遺跡を眺めるだけではそこまでは分からない。この背後にあるものとは。。それは、発掘品や建物一つ一つをひも解いて行かないと分からないだろう。それが考古学か。
ここにいた人たちってどうな人だったんだろうか?
ほかにも似たような文明の都市があったのに、ここだけが運よく残っていたとしたら、特別なものでもない。
逆にここだけが特別で、運よくそれが残っていたとしたら。
ただ、遺跡を眺めるだけではそこまでは分からない。この背後にあるものとは。。それは、発掘品や建物一つ一つをひも解いて行かないと分からないだろう。それが考古学か。
十字架の神殿からのパレンケ遺跡の眺め。さっきまでいた神殿は右上にちょっと映っている。
このころには、もう空が持ちこたえられず、雨が降り出して来た。
あーあ、もう見学もほぼ終わったし、足早にパレンケ遺跡を後にした。
宿にもどると、ドミトリーに一人のメキシコ人がチェックインしていて。
どうやら、ツアーガイドらしい。ツアーガイドがなんで、こんな質素なところとまるんだろうと不思議だった。いや、ちょっと疑った。
僕はPCを持って、夕食に出かけたが、エミさんやヨシコさんは部屋に置いてきたままだという。夕食もまたタコスを食べながら、「あーあ タブレット盗まれたらどうしよう?」って不安がっていたんだ。
でも部屋に戻れば、ちゃんとそこにあった。
翌日、僕は彼とがっつりと話しをして、かなりよさそうな人だと思った。疑って申し訳なかった。
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