学校へ
毎日長女のお迎え
が続いています
校長先生、教育相談、担任と
面談の日々
大人が連携を取りながら
何とかしたいと
それぞれが働きかけて下さっていて
娘は昔から
つくづく人に恵まれている
まだ学校に通いたいと
言ってくれるだけ
私も救われているから
今はたっぷり甘えさせ
答えのない悩みに耳を傾ける
娘世代の交友関係は
私達の頃よりずっと難しい
衝突を嫌い、波風を立てず
表面的な楽しさの共有は出来ても
悩みを相談する相手ではなく
みんな
抱えているであろう悩みは
微妙な空気を察して
お互い深入りしない
不思議な距離感
若者に漂う全体的な虚無感
だから
真剣に向き合ってくれる
大人たちに吐き出すことで
少し辛さが軽減するのだという
もし
支えになる大人がいない時
若者はどこに
居場所を求めるのだろう
SNS世代を生きる
若者たちの承認欲求は
生きていく為の処世術
のようにも思えた
秋の夕暮れを
娘と並んで歩きながら
動いて悩むことも
休んで悩むことも
辛いという毎日を
どちらに行っても辛いなら
荒治療とは
もちろん承知の上で
動いて悩むことを
アドバイスする
動きながら悩むことに
沢山救われてきた私としては
それが最善の方法で
今でもそう
休むという選択肢を
周りの大人の殆どが
勧めるなか
辛いなら
やはり前進しかないよ
ゆっくりでも
たんたんとでも
たまに休んだとしても
やはり
日常を送ること
休みが長くなれば
起き上がるには
それ相応の勇気がいる
動けるうちは動いた方がいい
こんな事を言うのは
まだ完全に止まってしまった
訳ではない娘を見て
必ず出口を自分で
見つけてくる子だろうという
親の過信
であるかもしれないし
そうであって欲しいという
期待の表れ
であるかもしれない
1人ぐらい
そんな事を言う大人がいても
いいよね
でも
それがよりによって
母でごめんよと
思いつつ
少し笑った娘と
帰宅の途につく