最期にアイはカツ | 生田の論理

最期にアイはカツ

 ランチを豪華にしたならば、その日は幸せな気持ちになる。今回はこの命題が「真」であるか「偽」であるかを論じたい。僕は間違いなくこの命題は「真」であると考える。「真」とした場合、反例(例外)はあってはならないのだが、普段の生活リズムが続いている場合。という前提条件はつけさせていただきたい。
 ここでいう豪華の定義としては、お金が高い。ということではなく、その人自身がランチに対して普段そこまでお金を出そうと思わない額を出し、かつその料理が美味しいと感じること。とする。
今回は京都四条にある「かつくら」というトンカツ屋さんでランチをした。学科の友人である佐々木亮太くんと共にランチを楽しんだ。僕はロースカツを注文した。
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 味はどうであったか。僕は料理評論家やコメンテーターのように気の利いた事は言えないので一般的形容詞を使用させてもらう。
 非常に美味しかった。もう少し述べるならば、豚肉が非常に良い弾力であり、衣と中身も文句なしの旨さであった。
ここではご飯、味噌汁、キャベツの3つがおかわり自由であり、僕はキャベツを2回程おかわりさせていただいた。ご飯もおかわりさせていただいた。
 お茶もおいしくいただいた。
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 安くてうまい。というフレーズは確かに魅力的である。その方が自分の経済的観点からみても、財布からお金が減るという事実的観点からみても良いのかもしれない。しかし考えを深くした場合、自分が本当に心の底から美味しいと思えた料理に関しては、お金を出すという行為は決して無駄使いなどではなく、極端に言えば豪華な食事をとるということは、その後の自分の人生をプラス思考に考えられる要素を含んでいると考えても決して間違いとは言えないのである。
今回はランチを共にした佐々木亮太くんに「かつくら」でのカツの美味しさを教えていただいたことに感謝したい。その後もウィンドウショッピングを楽しみ、カラオケを楽しんだ。非常に楽しかった。ありがとう。少し前の写真であるが…。
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ランチを豪華にしたならば、その日は幸せな気持ちになる。