飲み会~不確定要素~パラドックス | 生田の論理

飲み会~不確定要素~パラドックス

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飲み会は楽しいものである。普段疲れたときや、何か悩みなどを抱えていたとしても、飲み会という行事で周りの友達と喋り、お酒を飲み、そういった行動をすることによって気分が落ち着き、スッキリとしていく。今日は僕が所属しているテニス&スノボサークル、モルゲンローゼの3回生グループで、飲み会兼新年会を行った。場所がなかなかオシャレな場所で、赤を基調とした感じの、それでいてダークな感じの、しかし雰囲気は非常に明るい、少しクラブ的イメージのある場所であった。今回は3男が僕だけであった。他の3男のモル人(モルゲンローゼに所属している仲間)は、就活やアルバイトなどで忙しい状態であったみたいだ。3女が6人来て、僕を含めた合計7人の飲み会であった。みんなで様々な話をした。ファッションの話、アルバイトの話、恋の話…などなど。僕自身非常に楽しかった。みんなも楽しんでもらえただろう。ここでお酒を論理的に考えてみる。お酒は普段の話や、その場を盛り上げるための要素である。と捉えることができる。しかし、お酒はその要素だけではないのが現状である。お酒は確定的要素ではなく、不確定要素になる。不確定要素。すなわち先が見えないもの。ということである。飲み会というものは普段は楽しい。というレッテルが貼られているものだが、楽しくないと感じてしまう時だってたまにはある。それはお酒が不確定要素だからと考える。何故か。飲んだことにより気分が良くなるが、飲みすぎると気分が悪くなる。同じ行為を繰り返していくと、全く逆の症状が起こる。パラドックス的である。パラドックス(逆説)。「真」であると思っていたものが実は「偽」であったりすることである。広義では他にも意味はあるが今回は割愛する。しかしお酒は楽しく飲めば本当においしいもの。飲むことにより症状が悪くなるときと大丈夫なときは、その日の気分的な感情が入るため、不確定要素になる。そういった理由からお酒は不確定要素になるという結論にいたる。僕たちはお酒に飲まれるものでなく、お酒を飲む立場であるということが重要ではないか。しかし、たまにはお酒に飲まれることも長い人生の経験と考えれば良いと考える。やはり飲み会は楽しいものである。