商人は腰が低い。

いつもニコニして、威張るところが少しもない。


若い人はこのような人を見ると「臆病で牙が抜けている」などと感じることもあるだろう。

争いを避けて、自分の意見は押し黙る。

それで一体、何ができるというのか。

「弱虫」「臆病者」のレッテルを貼られて、何が楽しいのか。


世の中には人の機嫌を損ねないために、ひたすらに謙った(へりくだった)態度を取る人がいる。

誰に対しても気が弱く、事なかれ主義で生きている心の弱い人である。

若い人はこのような人と、商人の謙虚を見分けていない。


ここであなたに問いたい。

「心の弱い人の謙りと、商人の謙虚さは何が違うのか。」


答えは目的意識である。

言い換えれば到達地点の違いである。


商売人は常に勝利を意識する。

成功者の門は多くの人に対して固く閉ざされている。

過酷な競争に勝った者だけが入門を許される狭き門である。


競争ということは早い者勝ちである。

ゴールへの到達を最も妨げるものは何か。

それはつまらない争いである。

つまらない争いを避け、最速でゴールに向かいたい。

だから商売人は謙った態度を取るのである。


これが第一の理由で、もう一つの理由がある。

商人は「自分などまだまだです。」という謙遜をする。

これは謙って相手の機嫌を取るためと思われがちだ。

ただのご機嫌取りで謙遜するのは、大商人ではない。


大商人が謙遜するのは、目指す場所に届いていない自分への戒めである。

商売で人並みの生活ができたところで、そこはゴールではない。

人並みよりも上流の暮らしが出来るほど儲けても、そこもゴールではない。


もっと高みへ向かいたい。

金も地位も名誉も人気も、もっと高めたい。

商売で人並みよりもはるかに優れた暮らしが出来るようになった。

けれど今のままではダメだ。

今の自分は理想から程遠い。


あなたにはこのような欲深さがあるか。

この欲深さは人を努力に駆り立てる。

大商人の謙遜は魂からの自分への戒めである。

真に欲深い人の謙遜ほど、底知れないものはない。