こう見てくると、究極の人である仏になるために、邪魔な心のあり方がわかって来た。


それは不平不満の原因を外的要因に求めて、他者を攻撃する心。


また自分の考え通りにならないことに苛立ち、自分の考え方と違う結果を否定する心。


つまり責め心である。


欲の皮を突っ張らせて、ありもしない結果を妄想し、その通りにならないと腹を立てる。


これは愚か者の典型である。

この世界のあり方がよく見えない、心の盲人である。


私は大賢者としてこう言いたい。


「この世界の本当の姿を見よ。私たちが住む世界が『何一つ願いが叶わない世界』と知りなさい。この絶望に満ちた現実と痛みを知りなさい。真の愛は、その痛みの先にある。」


痛みと愛は表裏一体の相を成している。

この世界の全ての痛みを受け入れ、全ての痛みを癒し、愛を行う人になりなさい。


それこそが究極の人。

我が教えにおける賢者であり、真なる人である。