少年救命団はその名の通り、人の命を救う術に長けていなければならない。
救急救命士レベルの人命救助術を備えることは救命団員としての最低条件である。
日常生活が平和なために忘れがちだが、人は案外とあっさり死ぬ。
今朝、元気に「行ってきます」と出掛けて帰ってこないことがしばしばある。
「行ってきます」の「きます」は「帰ってくる」の意をもつ。
つまり「行ってきます」とは「今から出かけるけど、無事に帰ってきます」という誓いの言葉である。
誓いの言葉を述べたのに、その約束が果たせない人のなんと多いことか。
ある大きな建設現場の工事事務所長が朝礼の訓示でこう述べた。
「皆さんはお金を稼ぐために現場に来てる。決して命を落とすためにここに来たわけじゃないだろう。だから現場で死ぬなど言語道断である。」
これは至言だが、現実は建設現場で命を落とす人はまだまだ多い。
建設業は特に死亡事故が多い業種のために、危険予知活動を毎日の朝礼で行う。
危険予知活動、略してKY活動と呼んでいる。
これを参考にして、団員は人が死ぬ事例を丁寧に学ぶ。
またその場面において、どうすれば命を助けられたかを議論して、救助方針を決めるところまで行う。
そうして救命術を高め、危険を回避する技術を身に付ける。
これは団員の命を守ることにもつながっている。
前途洋々たる少年たち。
彼らの中にも不慮の事故で命を落とす者がある。
事故による死や、後遺症は彼らの夢や希望を途絶えさせてしまうことになる。
事故事例を多く知る者は、危険に近づかなくなるものだ。
結果、命を落とす子供が減ることは間違いない。
子供は可能性の塊である。
子が親より早く死ぬことは、辛くて耐えきれない悲劇である。
私は教育によって、彼らの命を散らせないようにしたい。