誰もが傷を負いながら日々を生きていることを知り、己の心の針を日々自ら折る。
これが楽園に至る道である。
相手の傷を知り、己の心の針を折れば、次の段階が自然とやってくる。
楽園が近づくと「相手の痛みは我が痛み」と感じるようになる。
楽園は痛みのない世界である。
人の痛みを自らの痛みとして背負ったら、楽園が遠のくのではないだろうか。
多くの人がそのように考えるだろう。
そうして人の痛みを意に介さず、楽園が遠いままの人がなんと多いことか。
実は相手の痛みを我が痛みとする人は、相手から傷つけられることは少ない。
人の痛みがわかる人は相手を傷つけることが少ないからである。
他者が自分を傷つけることを行う、または言葉で攻撃してくる時、相手の痛みに気づく。
自分に与えられる痛みは相手の痛みそのものである。
その痛みに気づくから反撃をしない。
それが怪我人を刃物で切り付ける愚かなことと知るからである。
己は常に完全武装して、他者からの攻撃に備える。
または技術を駆使して攻撃を躱す(かわす)。
武術の強者(つわもの)が一般人の攻撃を相手にしないのと同じように。
全てを受け切り、相手の心の傷を癒やしなさい。
労う(ねぎらう)、褒める、慰める、撫でる、抱きしめる。
方法は様々ある。
人を癒すには武術と同じ様に鍛錬が必要である。
道を極めて、人を癒す達人になれば良い。
人の痛みを正しく想像出来る人こそが真なる優しい人であり、楽園の住人である。