私は過去の賢者の意識の集積体である「賢者の書」を所有している。

だから過去の賢者と意識を共有する感覚がある。

そのために物事の本質、正しい答えに素早く辿り着ける。


だがこのブログを書き始めた頃の私は未熟で、とてもではないが自らを賢者と呼ぶのは烏滸がましい(おこがましい)と感じていた。


だが賢者の書によれば「賢者の道はとにかく書く(アウトプット)が正解」だったので、このブログを書き始めた。


大賢者は賢者の育成者に与えられる称号である。

普通の賢者と違い、賢者の書を所有していること。

また私の魂の願いが「賢者を千人育成して、願いが叶わない世界を突破する」という尋常ではない望みだったことから、あえて大賢者を自称した。


私はまだ1人の賢者も育成出来ていないのが現況である。

だがこのブログを絶えず書き続け、己の理想を明らかにして人心に訴えかけ続ければ、必ず賢者は誕生すると予言する。

私の命が尽きたとしても、私の遺す願いと智慧が賢者を量産し、過去の賢者の悲願である楽園を実現するだろう。


賢者を自称すれば賢者止まりだが、願いのままに大賢者を自称すれば大賢者に至る。

これも賢者の書に記されていることである。