賢者は変人である。
例えば薪を背負って歩きながら読書する、幼子の銅像を知っているだろうか。
かつては日本中どこの小学校にもあったという。
これは稀代の賢者、二宮尊徳翁の幼少時の像である。
農民の子が本を読むことは、当時の常識から見て周囲の人には奇異に見えた。
昔は「勉学するよりも働くことが尊い」というのが常識であった。
本の発行部数も現在とは違ってわずかであった。
そもそも紙の流通量が少なく、本を持っている者が少なかった。
誰が幼少時の翁に読書を教えたのかは定かではないが、翁は読書を深く愛していた。
難解な四書五経を読み、古(いにしえ)の賢人の知恵に触れ、納得できないことは実験した。
大雨で家が流され、その労苦で両親を喪う。無一文の苦難を知恵で乗り越えて豪農になり、やがては帯刀を許されて藩の財政再建に知恵を絞る賢者になった。
1人でも多くの民を救済することが彼の使命であり、生涯の喜びであった。
翁が幼少の頃に薪を背負って勉強していたのは出世のためではない。
薪を背負って歩いたのはそれほど裕福ではない家族のためであった。
本を読んでいたのは知識欲が抑えられなかったからであった。
ただ己が現在できること、したいことに没頭した結果が、読書しながら薪を背負って歩くという、当時の常識から見て珍妙なスタイルになった。
当然に周囲から変人と笑われ、頭がおかしいとさえ言われた。
後世の人が「立派になるには幼い頃から働きながら学びなさい」という願いを込めて、その姿を銅像にして日本各地に設置することは、当時の誰もが考えられなかった。
賢者は幼少時から読書に並々ならぬ執着を見せる。
年齢に見合わぬ、難解な書を求めてやまない。
その理由は5歳までには、賢者の疑問が天より与えられるからである。
賢者の疑問とは「人が何のために生きるのか知りたい。人の幸福とは何か知りたい。」である。