賢者候補者は道を誤りやすい。

そして道を正せば不遇な境遇に陥りやすい。

その思考が常識に基づかず、偏っているからである。


だが一度賢者となれば多くの人々を幸福へと導ける。

机上の空論に留まらない、実証主義が功を奏するからだ。


世には多くの幸福になる方法の情報が満ち溢れている。

その一つ一つを片っ端からやってみるなど、狂気の沙汰である。

それをやりきってしまうから賢者なのだ。


「でも」「だって」と言い訳をする心の隙間もなく行う。

幸福論を知りながら行わない者は、いつまでも賢者になれない。

賢者気取りの愚か者として扱われて終わる。


私たち賢者には原初の欲求がある。

「人の幸福とは何か、知りたい。」

この天命とも言える欲求。

これが行動の源であり、賢者の才能である。


賢者は欲求のままに幸福を追求し、行動により幸福を実証する。

賢者は幸福の道を知る者である。


またその道は一筋であり、全ての賢者は同じ思考に至る。

だから私たち賢者の思考は個にして全。全にして個である。

過去の賢者の思考と同じに至れば(同調すれば)、過去の記憶や知恵が流れ込んでくる。


道を求めれば、個の考えは失せる。

この境地に至る者が賢者である。