妻がどれほどもてなし力をつけ、小悪魔ぶりを見せつけても変わらぬ夫がいる。
相変わらず浪費をして、こそこそと見知らぬ女性との肉体関係の構築に労力を割いている。
その労力を家庭に回せば幸福に近づくのに、そのことに気づかない。
いずれは妻に見放され、年を取って男としての魅力がなくなり、最後は孤独死に至ることを知らない。
孤独な老人が一間のアパートで、「妻にもてなされていたころが一番幸せだった」と気づいても後の祭りである。
また夫がどれほど男気を上げ、妻の願いをかなえ続けても、鬼の面が取れない妻がいる。
ことあるごとに夫の欠点をあげつらい、新しい事業をしたいと相談してもすべて反対し、夫を小間使いのように使い倒す。
怒鳴れば夫が言うことを聞くと信じて疑わず、可愛さのかけらが一つも見えない。
その末路は「こんな女のために頑張る価値はない。」と夫に子供ごと見捨てられる。
「あんなダメな夫についていく女はいない」と思ったのに、男気がある夫だったのですぐに若くてかわいい妻ができる。
それを見て悔しくて怒りがこみあげて、ますます鬼の面が張り付いて鬼婆として一生を終える。
誰だって上記のような末路に至りたくないはずだ。
だが実際に上記のような例に当てはまる男女が世には存在する。
「末路を知る」ことが重要である。
末路を知るとは予知力である。
自分がいま行っている行動は、数ある選択肢の中で自分の好みで選んでいる。
その思考習慣がどのような末路に至るのか。
これの中で最も幸福な道を選ぶ知恵を知るのが賢者である。
賢者とは幸福を知るものである。
結婚の理想像を知り、そこに向かって一直線に向かう者である。
結婚を基をなす性別があり、男の特性、女の特性がそれぞれにある。
この男女の特性が調和して幸福な夫婦が生まれる。
結婚式は始まりであり、その誓いが一生実行されることが幸福な夫婦の条件である。
真なる結婚をし、その命が尽きるまで添い遂げてほしい。
大賢者として、夫婦であるあなた方を大いに祝福する。