男の浮気性は根治はできないが、症状の軽減はできる。
男の浮気衝動を抑え込む特効薬。
それは妻の可愛さである。
そもそも夫が浮気性ということは、妻は常に家の外の女性と比べられているということである。
ここにおいて妻がオンリーワンでナンバーワンでなければ、夫の浮気を許してしまう。
妻にとって結婚生活は見えない敵との戦いである。
家の外には無限と言えるほどの競争相手がいる。
妻も若いころは外見がよかったとしても、年齢を重ねて容色が衰えるのは避けられない。
入籍しているという事実以外に誇れるものがないなら、妻は外の若い女性にあっさり負けてしまう。
入籍したのは過去の実績であり、過去の実績は美化された思い出だからである。
妻は競争相手がたくさんいる中で、常に自分が選ばれるべきという強い決意がなくてはならない。夫にとってのオンリーワンでナンバーワンであり続ける決意である。
私は女性が「可愛いおばあちゃんになりたい。」と言うのを幾度か耳にしたことがある。
太陽のように明るく、水のように優しく、皴(しわ)の多さの分だけ知恵がある。
わが祖母はまさにそういう人であった。
ではどうやったらそんな可愛いおばあちゃんになれるのだろうか。
死の直前まで鬼婆だったものが、死ぬ間際に可愛いおばあちゃんになることはない。だから日々可愛いお嫁さんであり続けることでしか成り得ない。
具体的に妻の可愛さとは何か。
第一は夫が家に帰ってきたときに、妻にお客様が来た時のようにもてなす心があるかである。
これは子供にそのまま現れる。
夫が帰ってきたときに、「お父さんが帰ってきた!!」と子供たちが大喜びで迎えに行くかを見るとよい。
子供たちがそれをしないなら、家庭に危険信号が灯っている。
第二に夫を縛る心がないかである。
縛ろうとすればするほど、縄を振りほどきたくなるのが人情である。
夫婦である二人は赤い糸で結ばれているという。
妻はその切れそうに見える絆を信じて、夫を野に解き放つとよい。
妻が賢ければ夫を「放牧」できるようになるだろう。
第三は般若の面を外すことである。
可愛さは笑顔に基づく。
いつも笑っている妻であってほしい。
「今日の私は一番に可愛い」と鏡に向かって日に新たに笑う妻であってほしい。
夫婦生活は晴れの日だけではない。荒れ狂う雲行きもあるだろう。
それでもただ夫を信じて笑って付き添う人であってほしい。
仮に夫が過ちを犯して、浮気をしたとする。
その時だけは鬼の面をかぶるとよい。
精一杯怒り、わめき、嘆き悲しむとよい。
鬼の面をめったにかぶらない妻が般若になった。
この時夫は妻の怒りに恐れおののき、浮気をする性分が減退するだろう。
だがその面は一週間以内に外しなさい。
夫を許せない気持ちが捨てきれなくても、鬼の面を外して笑って「今日もあなたのことを愛しています。私の人生にあなたが必要です。」と言いなさい。
その苦しみたるや、筆舌に尽くしがたいものになるだろう。
最低でも三か月くらいは夫に体を触られたくないというのに、夫にほかの女を忘れさせるほどの性的な奉仕をするなど考えられないだろう。
だけれど私は保証する。その苦しみは必ず報われる。
あなたが可愛い妻であり続けたなら、夫はいつか忘れた頃に謝ってくる。
夫が妻の愛で賢くなった時に、次のように言う。
「あの時は出来心で浮気してしまった。でもやっぱり君が一番だ。本当にごめん。」
この言葉は妻が苦しめば苦しんだだけ、感動の言葉になる。
妻が苦しみながら愛の力で夫を許す。
妻の献身で家庭崩壊の危機は免れた。
夫婦愛とは苦しみとともに育まれる。
子供たちも夫婦愛の深さを肌で感じながら安心して成長する。
一昔前の日本の家庭は男尊女卑であった。
妻が夫を第一にもてなす家風であった。
これが家庭崩壊を起こさせないための先人の知恵だったとは誰も知らない。
それが転じて女性の地位を低くさせる結果につながり、これを回復させるために可愛くない女性を増やす結果になった。
その結果は御覧の通りで、晩婚が進み、夫婦の離婚が増え、不幸な子供が増えた。
夫が浮気をしたとしても、せめて最後はあなたのもとに帰ってくるくらいのかわいい妻であってほしい。
ましてや浮気をされていないのに、「君との結婚生活はこれ以上続けられない。」と言われる鬼嫁にはならないでほしい。