妻は夫が「浮気性」という先天性の不治の病を患っていることを知らなければならない。

男にとって結婚は闘病生活である。

 

浮気性という根が深い病を抱えて、常日頃から様々な女性に目移りする。

それでも「妻を愛している」と言い、浮気性を抑え込む男の健気さを妻は理解すべきだ。

 

これは私が男だから、男の立場で言い訳をしているのではないかと聞かれれば、間違いなくそうである。

だがそれだけではない。

それだけ男が過ちを犯しやすい生き物だと、妻が知ることが大事なのだ。

 

昔の人は「据え膳食わぬは男の恥」と言った。

妻以外の女性が男を受け入れる体制ができているのにそれを断るのは、相手の女性に対して失礼だし、男性としても本性に沿わない行動だという程度の意味だろう。

 

この諺(ことわざ)が示すこと事象は、あなたの夫が魅力的であればあるほど、家庭の危機があるということである。

妻は「私がこれだけ夫を愛しているのだから、夫は絶対に大丈夫。」などと思わないことだ。

妻の愛の深さを以てしても、夫の浮気性の本質は治らない。

 

妻の愛が深くてこの有様なのだから、妻が鬼嫁だったのなら、夫は妻から逃げるように家の外に女性関係を作るだろう。

最悪の場合は、夫が新たに関係を作った女性に負けて、離縁を突き付けられることにさえなる。


つまり女性にとって結婚とは、見えない敵との戦いである。

夫に「この妻を失いたくない」と思わせるほどの魅力が、今のあなたにあるだろうか。

 

私が知る限り、妻は夫の頼みごとを聞くのが下手である。

子供優先で、夫は後回し。

自分の頼みごとを夫の都合を考えずに頼み込み、それでいて夫の言うことは一つも聞かない。

夫が自分の言うことを聞かなければ、瞬間湯沸かし器の早さで怒り狂う。

いつも般若の面を傍らに常備していて、何かというと「夫はダメ人間だ」と責め立てる。

ついには鬼の面が張り付いて取れなくなり、きつい顔の鬼婆として最期を迎える。

そんないわゆる「鬼嫁」が世の中にどれだけいることだろうか。

 

そんな鬼嫁では夫の手綱を握ることはできない。

そんな家庭であったのなら、夫は機会があれば妻のもとを逃げ出す機会をうかがっている。

そして男の悪い性分を丸出しに浮気をして、妻のもとを去っていく。

浮気をされた妻は「やっぱりあの人はダメな人だった」と納得するが、自業自得であることには一つも気づかない。

 

この場合において、浮気をした夫も不幸である。

鬼嫁から逃げたものの、新しい女性との関係に、前の妻とそれほど差が出ることはない。

結局はまた浮気をして、一か所にとどまることがない。

女がいないと男は立身出世が難しいので、最後は孤独死の運命をたどる。

 

何よりかわいそうなのは子供たちである。

父が浮気をして、母と争いを始めた。

どちらの味方をしてよいかわからない。

「もしかしたら両親がけんかをしているのは。自分のせいかもしれない」と小さな胸を痛める。

両親が別れて母に引き取られるものの、経済力が足りず満足に物が買えない。

 

母親からの愛しか知らず、夫婦が愛し合うとは何かを感覚的に理解していない。

大人になっても結婚に良い印象がなくて、独身のまま年を取る。

結婚したとしても、新しい生活をどうしていいかわからないで、すぐに別れてしまう。

 

幸せな結婚から始まったはずの家庭で、誰一人として幸せになることはなかった。

そんな事件がこの世界にはあふれている。

これがこの世界の「願いの叶いやすさ」を減らしている大きな要因である。

 

上記のような家庭の不幸を生み出すのは、妻が夫の浮気性の特効薬を用意していないからである。

先天性の浮気の病にかかった夫。

この病に効く特効薬は「妻の可愛さ」である。