そう遠くない昔のこと。

かつては男が偉く、妻は夫を支えるだけで自分の人生を歩めない時期があった。

たいして仲の良くない姑に、新しい家風を押し付けられる。

当時は別れることは恥だったために、姑のきつい教育に涙をのんだお嫁さんが多かった。

 

私は不思議に思っていたことがある。

男は居候がうまい。

妻の両親に対して、家族の親しみをもって接する。

妻の実家で「慣れない他人の家」という理由の多少の居心地の悪さはあっても、なんとなく家族の一員として溶け込んでいく。

 

そもそも男は実家とのつながりが薄い。

兄弟や姉妹に対して強い思い入れがない。

そして新しい環境になじむのもうまい。

だから妻の実家でもなんとなくうまくやれる。

 

逆に妻は夫の家に入り込むのが下手である。

夫の家に行ったとき、舅姑はあくまで夫の家族であり、自分とは他人だという感覚がある。

家族制度が崩壊した現代にあっては、夫の家を訪れるのも億劫である。

 

そして女は実家を大切にする。

母や姉妹とのつながりが強く、実家でのくつろぎは代えがたいものである。

 

男性と女性の本来の性質を見れば、女性の家に婿入りするほうがずっと楽なように感じられる。

なのにどうして女性が男性の家に嫁入りする体制が整っているのだろうか。

 

賢者の書に訊ねたところ、この形の婚姻は乱婚になるという。

性が入り乱れ、夫婦として確立しないのだ。

夫が男の悪い性質を発揮し、妻の姉妹と密かに結ばれ、その事件をもとに姉妹でいさかいが起こる。

浮気を原因とした夫婦げんかが絶えなくなる。

結果として家族が崩壊する。

このようなことが起こるので、「家庭を確立するには妻が夫の家に入るのが円満」という知恵が人類に授けられた。

 

男が浮気性なのは子孫繁栄の基本であり、遺伝子に組み込まれている部分である。

夫がこの本性を抑えて、妻一人だけを愛せるかどうか。
これは夫婦の在り方において、由々しき問題である。