短い期間であったが、性について述べてきた。
なぜ夫婦が運命を共にするのか。
その答えは男と女という、全く逆の性質をもつ者同士が調和するためである。
私が思うに、夫婦には性の喜びが満ちていなければならない。
男女がお互いを愛し、お互いを必要とし、お互いに求めあう。
夫婦の中心にあるのが性の差であり、男女の交わりである。
だから私はこれを軽んずるジェンダーフリーに異を唱えるのである。
性の中心はいつだって女性である。
なぜなら女性は出産をする。
命の中心だからである。
だが女性は非力で、男性に力を貸してほしい。
母は家にいて子供の世話を見ていたいので、父には外で頑張ってほしい。
つまり男は女性に足りないものを補う存在である。
そのために作られた存在と言っていい。
それだけにいびつで未完成で、教育が必要である。
これを行うのも女性の役目である。
ときどき生まれつきのように賢い男が世の中にいる。
そのような男はきっと、その母や祖母が賢い人だろう。
または姉妹や従姉妹が多く、女性に囲まれて育ったのかもしれない。
彼らは女性の影響を強く受けて育ち、燃える性欲の炎が静まっているから、粗野な雰囲気が薄い。
見た目からして賢い。
私は夫婦の理想像は「夫唱婦随」であると考えている。
これは一見、男尊女卑の思想に見える。
しかし私が提唱する夫唱婦随はその本質が違う。
重大な判断というのは女性にとっては苦手なもので、ストレスが強いものだ
だから妻(または母や祖母)がその水の働きで、夫の炎を鎮めて賢い男にする。
賢い男はひらめきを与えられて、理性的な良い判断ができる。
妻はこれを信じ、面倒な判断は夫にゆだね、子育てに専念する。
これが私が考える夫唱婦随である。
夫婦が相補う理想的な夫婦像ではないか。
その成立の鍵は女性が握っている。
射精の快楽と引き換えに、妻に教育されて男は賢くなる。
男性らしい良い能力を遺憾なく発揮する。
「夫唱婦随は女性主導が理想である」
聞いたこともないかもしれないが、これが真なる夫婦の実情である。