関東甲信越では一昨日からの好天で一気に花粉が舞ってますね。
この時期になると毎年行政に対する悪口を書いてる気がしますが、
一説によると花粉の少ない杉への植え替えには、あと100年はかかるという事の様で(まず今の杉がなかなか伐採されていない)、おそらく我々が生きている間は花粉症はなくなる事ないでしょう。
国中に杉を植えまくったのはかつての日本政府との事ですが、よく誰も花粉症撲滅を声高に叫んだり政治の公約にかかげたりしないものだと思います。
こうした事に限らずですが、日本人は我慢強い国民ですよね。。
日本を始めとする東アジアの人々は、かつて、土着で農業中心の生活をしていました。
水が得られるのも得られないのも、作物が取れるのも取れないのも、おてんとう様次第。
自分ではどうにもならない事ばかりだった事でしょう。
かたや、狩猟や遊牧を中心とした、かつてのユーラシア大陸の人々は、能動的だった事でしょう。
自身の決断や行動次第で、その日の食べ物が得られるかどうかが決まったのですから。
こうした長年のライフスタイルの違いは、人間関係にも影響している様に思います。
ユーラシア大陸では、人々の動きが盛んで、知らない相手や、価値観の違う人達との出会いが常々あったものと想像します。
自己主張し、時にやり合う場面も多かった事でしょう。
東アジア、東南アジアの島国や小国では、おそらく人の動きは極めて限定的で、
生涯同じコミュニティーで生きる人々が多かったと思います。
こうした社会では、一旦人間関係を崩すとその場所にいられなくなってしまいます。
いかに争い事を避けるか、周囲の人々の顔色を見ながら、迎合・和合していくかが問われた事でしょう。
まさに空気を読む事を重視してきたのが日本人です。
空気を読む、
英語でどう訳すんでしょうね?
日本語にも日本人特有の人間関係が反映されている様に思います。
英語と比べると日本語は曖昧な表現が多いですよね。
例えば英語では、常に「誰の(my familyとか)」や、「単数か複数か(a ~)」を明確にしますが、日本語ではそうした表現はしません。
何事も推して知るべし、みたいな社会です。
そして丁寧語、尊敬語、謙譲語がやたらに複雑です。
封建的社会や、濃い人間関係の中で、常に人に気を使い、顔色を見てきた歴史背景を感じます。
例年、世界幸福度ラインキングが発表されて、そのたびに日本人の幸福感の低さが話題になったりしていますが、
この要因は、
多くの人々が「自分を生きていない事」にあるように自分は思います。
人に気を遣う、人に合わせる、という事が、血に受け継がれてしまっているのです。
もう1つ、孤独感という要因もある様に思いますが、それは本題から外れるのでまたそのうちにでも。
あぁ、、本日は真面目な話をしてしまいました。
