前回のブログの続きです。

河野談話の前年に、宮澤内閣の加藤官房長官が発表しています。

https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kato.html


宮澤喜一さんも、加藤紘一さんも、河野洋平さんも、護憲派というか、平和を望む人達だったのです。


村山談話でも、加藤政調会長が大きな役割を果たしています。


平和について調べていくと、必ず、加藤紘一さんの名前が出てきます。


極め付けは加藤の乱


様々な人物が入り乱れて、関わっているのですが、極簡単にいうと、一部の人達だけで決定しようとした、つまり、民主主義に背いた行為に対して、堪忍袋の尾が切れた。

という事だと思っています。


https://ja.m.wikipedia.org/wiki/加藤の乱


良く、忠臣蔵に例える人がいます。


加藤さんは、浅野内匠頭。


「殿中でござる」

を行ったのが、後の谷垣総裁。

一つ飛ばして、菅義偉さんも岸田文雄さんも、加藤さん側だったのです。


ところが、物語はそこで終わってしまった。


大石内蔵助は現れなかった。


加藤さんには、こんなエピソードもあります。


これも、加藤さんが、平和を、憲法を守る言動によって起きた事件です。

勿論、事件は民主主義にも反します。


https://ja.m.wikipedia.org/wiki/加藤紘一宅放火事件


自分が、評価する基準は、憲法に従う。

平和を守る。

民主主義を守る。


しかも、この人には権力があった。


首相に最も近い男。とも言われていた。


どこで、道を間違えてしまったのですかね?


最後に紹介するのは、この言葉。


山崎拓さんの弔辞です。


https://www.sankei.com/article/20160915-57T5ROWH6ZNVXPFFHQWK5ORUGA/


改めて言いますが、これ、全部、自民党の話ですよ?


今はどうでしょうか?


とにかく、戦闘だけはしてはならない。


武力で平和は守れない。


それだけは確かです。