自分の実家はとても標高の高い町で、夏は避暑地なんです。
冬はとても寒いですが。

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なので、こちらに別荘を持つ人も居るんです。

特に、文学者が多く集まりました。


全国的に有名な方だと、斎藤茂吉さんもそうです。さださんのコンサートの照明さんのあだ名の語源になった方ですね。


富士見高原病院というのがありまして、そこを舞台にした有名な小説として、堀辰夫さんの、風立ちぬ。

かあります。

あれ、軽井沢が舞台だと思っている人も結構いる様ですけど。


実家は駅前で旅亭を営んでいましたから、色んな人から出入りしたんでしょうね。


料亭を閉じた後は、大邸宅で部屋の数も多かったので、下宿人を受け入れたり、スポーツの合宿生を受け入れたりしていたみたいです。


家族は、自分の父親が長男。

祖父の職業、国鉄職員を継いだのも父。

ただし、配属先が違い祖父は現在のJR東日本、父はJR東海。

その為、母親の実家の近くに家を建てたのですが、本籍地は父親の実家のままです。


自分が自動車運転免許証を取得して、かなり経つまで本籍はそのままでした。

自分は、同県同士だったからまだ良かったのですが、本籍地が県外、更には国外の方は、免許の更新手続きが面倒みたいですね。


父は長男でしたから、いずれは家を継ぐ予定だったのです。


父の弟

二男

教員

幼少の頃から、良く自分を可愛がってくれた優しい叔父でした。

自分にとっては。


叔父は、中学校の体育の先生でした。

日本体育大学卒。

少林寺拳法の達人。

叔父は特命を受けておりました。

荒れた学校に派遣されて、それを制圧するという役目を担っていました。


暴力教師。

なんて、漫画かドラマの話だとお思いかも知れませんが実在します。

叔父がそうでした。

風態は織田無道。


偶然、取引先の事務機屋さん。

コピー機等OA機器を取り扱っている業者さんの営業兼技術者の方、自分と同学年の方ですが、その方が、叔父の在籍した中学校の卒業生で、更に、その方の妹さんは、伯父が担任だったそうで、教員としての叔父を良く知っている方です。


凄かったみたいですね。


勿論、悪い事をした生徒に対して、厳しくするだけですよ?

普通の生徒に対して、やたらと暴力を振るった訳ではないですよ?


さださんが、良く振り子に例えますよね?

人間、こっちに振れたら、その分、反対側に触れるのだ。と。


叔父がそうだったのですかね?

自分にとっては、とても優しい叔父でしたから。


関係ないですけど、今の日本の振り子。

さすがに、もう、右一杯に張り切ってますよね?

これ以上は、ないですよね?

今度は左に振る番ですよね?


その叔父は、偉業を成し遂げています。


諏訪地方で教員を勤めていた際、叔父は協会の副会長でした。

協会員の中に、さださんの息子さんの担任の先生が居ました。


その縁で、さださんのコンサートを開きました。

自分も身内枠で呼んで頂きました。


さださん一人だけ。

バックバンド一切なし。

ギター一本だけ。


さださんの場合、通常、三曲か四曲歌うだけでも、二、三本のギターを使用するのが常ですが、その時は、ギターも一本だけでした。


YAMAHAのギターのヘッドにMASASHIと書かれた、俗称MASASHIカスタム一本だけでした。


時期的には、さださんの20周年の頃だったと思います。


トークがメインのイベントでしたが、よく言われる様に、喋りすぎて一曲しか歌わなかった。という事はなく、何曲か歌って下さいました。

後一マイル。

が、印象的でした。


トークは、当時、さださんが居住していた諏訪の話か面白かったです。


その叔父、単身赴任で長野市に居住していました。

長野オリンピックの選手村の跡地を教員住宅としていたのです。


当時、教頭先生でした。


年末年始休み(冬休み)明けの始業式に、教頭先生が来ていない。


異変を感じて、同僚の先生が叔父の住まいの教員住宅に様子を見に行ったら、叔父は脳梗塞で倒れていました。


何とか一命は取り留めましたが、言語も話せない。数も数えられない。

そんな状態になってしまいました。

叔父が倒れた時に、真っ先に駆けつけたのは父でした。


リハビリの結果、少しは良くなりましたが。


その叔父は、父の最期の時、看取った時ですが、父が亡くなった事は認識出来ていたと思います。

しかし、それ以上の行動は起こせなくて、駄々父の名前を呼び続けていました。


父と伯父は、本当に仲が良かったのです。


父の弟

三男

会計士

今現在も、自分の会社の経理を管理してくれています。

父親の実家の近くに家を建てて居住しています。

この叔父がフォーク大全集といったカセットテープを所有していて、聴かせて貰いました。

自分も、さださんのファンになりたて、関白宣言。

により、ギターを弾きながら歌う人を初めて意識し、防人の詩。

により、ギター2本による演奏に魅了された頃です。


恐らく、レコード会社別になっていたと思いますが、その中の一本に、グレープとかクラフトの作品が入っていた巻があって、これも、さださんの作品なんだな。思って興味深く聴いていました。


その中に、メロディーの、課外授業。という作品が収録さてていて、衝撃を受けました。


その時点では、自分の中では、まだ、この作品の作詞者と、さださんの防人の歌でリードギターを弾いている人が同一人物だとは、気づいていません。


とにかく、この系統のマイナーコード主体の作品に心を奪われたのは事実で、中1から中二にかけて、自分の事場合は、4月生まれなので、学年と年齢がほぼ、一致するので、14歳だったと思いますが、現存する一番古い作品がこれです。


この作品の趣旨は、誤解されて当然ですが、本来は、自分がいつも唱えている、世界中、過去にも未来にも、誰一人として、自分の望む時代の望む国に生まれた人は居ない。


という事を伝えたかったのです。


防人の詩と課外授業に触発され、動画では自分一人の弾き語りですが、頭の中では、防人の詩風のリードギターが鳴っています。


恐ろしい事に、さすがに言い出せませんでしたが、そのご本人にリードギターを入れて頂く事が、まんざら不可能ではなかったという事実。


この作品をつくった中学生の時の自分が、その事実を知ったら、ビックリするよね。


そのカセットテープを所有していた叔父の息子、自分の従兄弟ですが、昌。と書いて、まさし。と読みます。

語源は、さだまさしです。


次回は、サスペンスまではいきませんが、家族間の騒動を描いた、一部の方には興味深い、親族間の話になります。


https://youtu.be/PxKvd7T1010