午前中に病院へ行ってきました。
まずは、想像した程は悪い容態ではなく、意識もハッキリしていて、話も出来ました。

ずっと、父のそばに居てあげたい気持ちもありましたが、
希望的観測ではありますが、少なくとも今日の日中位は滅多な事もないだろう。という判断のもと、仕事場も気になるし、母親に言いつけられた洗濯物とかもあったので、一旦、帰ってきました。何しろ、今朝は6時に病院から呼び出されたので、母はそのまま飛び出し、自分も仕事を途中で投げ出して行ってしまったので。

会って話せて、随分気持ちが落ち着きました。

病院へ向かう時なんか、家から病院の間に制限速度40kmの峠道があるのですが、良く、取り締まりもしているので、普段は、慎重に走ってます。こういう道は意識して走らないと制限速度を大幅に超えてしまいますから。
今日は、やはり、気持ちが焦っていて、ふと、スピードメータをみたら、確実に取り締まられる速度が出てしまっていました(と、言っても、実際はそれくらいの速度で走っている車は多いのですが)

こういう時に、もし、取り締まりにあった場合、事情を話せば見逃して貰えるのかな?という事を真剣に考えました。

今、病院へ向かっているという事を証明するには、先に病院に着いている母と妹に携帯メールをやり取りをしてるのを見せれば良いのかな?
メールには今から病院へ向かうという事も送信したし、個室に移された病室の部屋番号も妹から返信がきてるから、信用して貰えるかな?
カーナビにも病院の住所をセットしてあるし。

それは、取り締まられるのが問題ではなく、それだけ、早く病院へ行きたかったんですね。
それ位焦っていました。

病院の駐車場で丁度、叔父夫妻と一緒になりました。
叔父は、父親の弟で元教員をしていました。父と叔父はとても仲が良くて、お互いに元気だった頃は、しょっちゅう一緒にお酒を飲んでました。
叔父は、教員をしていた時に、岡谷のカノラホールで行われたさだまさしさんのイベントで挨拶をしたという輝かしい経歴を持っているのですが、もう、10年近く前になりますが、長野市で教頭をしていた時、単身赴任先で脳梗塞で倒れ、何とか一命は取り留めましたが、今もその障害が残っております。
父が今、どういう状況であるかは正確に判っているし、相手の話も理解出来るのですが、
父が、また、気の早い事を叔父に言うのだけど、叔父は自分の意思を正確に言葉にして伝えるのは困難なので、黙ったまま、悲しそうな顔をしました。
そんな姿をみていると、たまらないですね。