今まで人生を歩む中で、成功を収めたり、事を為す為で有ったり、大きな視点から観ると、それが全体的に正義を貫く事であっても、決して、清い心であったり良心や善行なものだけで無かった…
先程も述べた通り、大きな視点から正義を貫くにしても、悪行で有ったり、悪い心で有ったり、原罪に基づく行いで有ったりもする…
世の中の秩序を維持したり成功をおさめたり事を為す為には、世の中を知れば知る程、成長すればする程、認識するのは、清濁併せ持たなければ成り立たないのも事実…
それと云うのも人間が存する二面性である。
常に人間の中には善と悪が存在し、それが表裏一体である事は間違いないからで有る…
人間は、良い行いや正義を貫く為には、必ず悪や罪並びに汚い面が付き纏う…
決して、犯罪を犯した訳でないが、それらの事を踏まえると後味の悪さばかりが残るので有る…
この程、これからの歩む半生に対しての絶望を味わい、そんな自分に対する絶望や他人並びに隣人に対する絶望…
取り分け、純粋に正義や良心だけ存する人間がこの世にいない事の絶望は、余りにも大きい…
それは、成長過程や半生の中で感づいていたけれども…
それだけに、これからの半生は、様々な困難や行く手を阻む障害並びに経済的困窮が存しても、唯一無二の絶対的に正しくて厳しい神様が共に居られるから、笑顔でそれらの事を乗り越えられる…
正義や精神障害克服の為に人々との繋がりを拒絶をし続け、ひとり孤独の中に生きている…
それが、今回のCOVID-19のパンデミックで、更に一層その生活環境が強化された…
それは、自分の自由意思に基づく行動を神様が承認してくれた環境で有り、今回のCOVID-19のパンデミックでより一層強化…
パンデミックによるものについては、神様が駄目押ししたもので有ると確信…
ひとり暮らしの環境を手にする上で、自分の為に生きると云う思考の元での暮らしぶりが如何に的外れで有り、上手く行かない事であると気づき、そればかりか自分の半生を否定する事で有る行為で他ならない…
それと云うのも、今回のパンデミックや今の暮らしの中で手に入れた大切な恩賜…
神様が与えてくれた賜物…
取り分け、今回、旧約聖書のマナ書を地で行く様な信仰からの脱却や神様の道を歩まんとする福音を感じ取る事が出来た。
ひとり歩む中でも、必ず神様が共におられ、その中でも、人々の為に為すべき事は何か?を念頭に半生を送れと云わんばかりの神様よりの暮らしの中での主張…
取り分け、パンデミックは、相当な強烈でセンセーショナルなIMPACT…
凄いなと思うのは、神聖な霊的エネルギーを発するPower Spotに移動しなくとも神様の存在を意識するだけで霊的エネルギーを緊急避難的に補充出来る事を神様に与えられた事…
神様の道を歩まんとする中で、自然に胸の高鳴り、ドキドキワクワク感を感じ、からだが勝手に反応している事…
パンデミックの中で、Publicを再び意識…
今回、凄まじい苦しみや辛さを体感し、道は閉ざされたと絶望に感じる中で、その中でも、確実に歩みが緩やかなものであるが、一筋の光が視認出来、神様の道が開けているのを感じる…
実際にそうだし…
僕は、僕の中の悪との闘い、自分の原罪を起こしやすい性質との闘い、世の中の悪との闘い、悪魔(サタン)との闘いを余儀なくされる…これからの半生は…
(その闘いに要する力は神様が与えてくれるし、自然に備わる。)
それは、唯一無二の絶対的正義有すると厳しい神様と共に…
それは、僕の中に存する聖霊の働きに他ならない…
今、この記事を書いているが、僕が洗礼(バプテスマ)を受けたのが2008年5月11日聖霊降臨日(ペンテコステ)で有り、今年はとっくに過ぎたが…この時期にこう云う事を書いていること自体に偶然では無くして意味を有するものである…
自分自身もこの記事を書いている中で気がついた…
もしかすると、神様への道を歩み出したのかも知れない…
とすると、今までの半生よりもこれからの半生の方が有意義で有り、大事であり大切なものである…
取り分け、神様が共に居られる人生の方が、圧倒的に喜ばしいし、嬉しいし、何よりも幸せ🍀