アントニオ猪木さんと、タイガーマスクは・・・・・! | 昭和のプロレスラー、健悟の稲妻日記

アントニオ猪木さんと、タイガーマスクは・・・・・!

全国のプロレスファンのみなさーん、こんにちは!


今日の東京は晴れ、気持ちい~イ!



本日のプロレス話は、



またまた、真知子ボンバイエさんからの投稿です!



ここから




タイガーマスク


昭和56年4月23日、プロレス界にスーパースターが誕生した。


正体は海外修行から帰国した、佐山サトルさん、当時23歳。

彼の出現により、全国の試合会場にはちびっこファンが集まった。
彼は、我々の期待以上の動きで他の選手、関係者、ファンの度肝を抜いた。
こんなレスラーは生まれて初めて見た。
アニメのタイガーマスクを超越した動き。


古館伊知郎アナウンサーによって、4次元プロレスなる流行語も生まれた。


対戦相手にも恵まれた。
ダイナマイト・キッド、ブラック・タイガー、小林邦昭さんなど。


ウルトラマンなる選手もいたが、あれは大失敗(笑)。


あの動きは、猪木さんが常々言っている「格闘芸術」である。
投げられたと思ったら着地している。
相手が向かって来たら、ローリングソバット。


そんなタイガーマスクは、社会現象を起こした。
いわゆる、タイガーマスクブームである。


色んな週刊誌が彼を追ったが、正体は謎のまま。


負けたら覆面を脱ぐとの事だから、全国のファンはみんな、画面に吸い寄せられてしまう。

それに輪をかけたのが、梶原一騎先生のスーパースター列伝である。


謎の覆面レスラーは日本に上陸する前、イギリスでミスター・カンフーを名乗っていたと。
こういった漫画も新日本プロレスブームに貢献した。


でも、彼は負けない。


今のレスラーと違い、彼には確かな技術もあった。
後年、初代タイガーマスクのDVDが発売されたが、跳んだり跳ねたりの時間は僅かだった。
余りにも芸術的な動きで我々の思考を麻痺させていた。
凄いの一言である。


そんなタイガーマスクが58年8月に突然、リングを去ってしまった。
本当に、ショックだった。


その後にザ・コブラなるレスラーが出現したが、ファンの心に空いた隙間を埋められなかった。
当時、片親になってもいいから、タイガーマスクには復帰して欲しかった。


心の準備が出来ていないから、一時的にプロレス中継を見なくなった。


今のレスラーと関係者の皆さんが頑張っているのは分かるが、過去のプロレスから何かを学ばないとダメ。


ユークスの皆さんに1日も速く、実践して欲しい。


ここまで



真知子ボンバイエさん、ありがとう!



それにしても、良く覚えてますね!



プロレスだけではないが、ファン、好きな事になると人は凄い能力を発揮するんだな~!



そんな事はどうでも良いが、



タイガーマスク、いや~凄かったね~



サトル君は運動神経が抜群、ハンサムだしね。



また、性格がメッチャ良いんだな、彼は!!!



難は・・・・・・甘党・・・・・肥満?に・・・・・!!!



この先もプロレス界にはナカナカ出て来ないだろうな?



アントニオ猪木さんと、タイガーマスクは・・・・・!



つづく


私、健悟が書いたダイエット本!


食事療法だけではダメ!必ず、リバウンドが来ます!


だから・・・・・!


元新日本プロレスラー木村健悟の稲妻ダイエット&肉体改造法
元新日本プロレスラー、木村健悟の稲妻ダイエット&肉体改造法


アントニオ猪木、伝説のDVD 「四角いジャングル