今年もあと1日となりました。思えば2023年の3月に広島から横浜に帰りました。

2021年より広島への転勤を会社に命じられました。

コロナという非常事態の中で転勤を断り、解雇されるリスクを取ることはできませんでした。

首都圏の不動産取引が停滞する中、コロナの影響が少なかった地方に、首都圏マネージャーを転勤させる会社の姿勢にはかなりの不信感を覚えました。

母は涙を抑え、私を広島に送り出してくれました。

私は広島に赴任した当時、必ずしも広島支店から歓迎されていたわけではなく、広島設立のメンバーからのやっかみを受けていました。

そんな逆風の中、支店長になるために必死で1年半を耐え、晴れて広島支店長になることができました。

支店長になって間もなく認知症が進んだ祖母が亡くなったと母から連絡がありました。

広島から横浜までは新幹線で4時間の距離であり、往復で交通費が4万円発生します。

決して近いとは言えない場所でした。

加えて、広島支店が少人数の店舗であり、自身も営業担当を落として数字を作らなければならない立場であったため、横浜に帰ることができませんでした。

母は気丈に帰らなくていいと、妹と二人で葬式を出しました。

そんな悲しいことがあったと。母の体調は非常に崩れてしまいました。

同時期、自身の勤務先の状況、経営状態が芳しくなく、給与の昇給もほぼほぼ横ばいでした。

戻れるのであれば広島から横浜に戻り、母と2人で今のマンションに暮らせたら2人ともいいなと考え、転職活動を開始しました。

私はすでに5回転職をしていたため、転職先が見つかるかは非常に懐疑的だったのですが、幸運なことに大手ネット銀行から声をかけていただき、過分な地位で転職することができました。

今の勤務先も関係性が良くなかったり、仕事もハードであったりといいことばかりではありませんが、給与も以前よりははるかに上がっており、今ぐらいの仕事の負担は仕方がないことかと思っています。

それでも会社がなくなる恐怖を感じたり、転勤の心配をしたりといったことがなくなっただけでも、私も家族もはるかに幸せです。

色々と大変な1年でしたが、相対的に見れば飛躍の年だと考えられるでしょう。

今考えれば、現在の勤務先にこのポジションで入れたことは外からの最後のプレゼントだったのかもしれません。

私は神様や運命はあると信じています。

感謝を忘れず、来年も一日一日、一生懸命生きていきたいと思います。

ありがとうございました。

全ての方、命に感謝を込めて。