NO USE FOR A NAMEのギタリストが亡くなったことを受けてのKen YokoyamaのライブでのMC。からのSoulmate。
この動画見て感じたことをば。
ある人がいて、ある日その人が亡くなってしまっても、その人が残したものがあるっていうのは素晴らしいと思ったし、単純に羨ましいなと。その残したものを他の人が伝えてくれたらもっと嬉しいなと。思ったっす。今まで考えたことなかったけど、そんな一生を送ることができたら、死ぬとき満足できそうなんじゃないかなと。
俺には何を残せるのか。そこで考えてみたけど、どうやら今の俺には何も残せなそう。少なくとも今は。いや、何かしらは残せるのかもしれないけれども、それと今まで生きてきた23年ていう年月とを比べたときに、その年月に満足するようなものは少なくとも残せなそう。
そんな訳で、これから生きていく上で、何かを残すために時間を使ってみてもいいんじゃないかなと思ったわけであります。そして何かを残すためには、自分のアイデンティティを確立する必要があるのかなーと。「自分は何者か」みたいなこと。それを自分で理解した上で、そこに沿った何かを残すっていうのが、俺自身が残すことの意味なんじゃないですかね。
しかしながら、今の俺には自分のアイデンティティすら確立できていないわけでありまして。なんて言うか、小さい要素が細々と集まって俺の自我を作ってるってイメージしか湧かなくて、”これ!”っていう要素が思い浮かばないわけです。「アニメが好き」とか「バンドが好き」とか「群馬出身」とか、そういうのはあるんだけれども、どれもその要素を持っている母数が多そうなものばかりで、いまいちパリっとしない感触。もっとこう、母数の少ないものをアイデンティティとして持っていたいなと思った次第です。「母数が少ない=他の人と被らない=俺である意味」みたいな感じで。この思考は厨二病か。笑
そこで思ったのが、生きる上での軸みたいなものがあれば、それは唯一無二にかなり近いものになるんじゃないかなと。座右の銘的なやつですな。それを明確にするには、自分にとって譲れないものは何か。それを考える必要がありそうですな。
ただこれは「死ぬときに人生に満足するために何かを作る」って選択肢を選ぶ場合の話なだけであって、死ぬときに人生に満足するためには他の方法もあるはず。そんなことを知るために、いろんな人の死にゆく様を知りたいなーとか思いました。縁起のいい話ではないですな。笑
つーかKenさん短髪になってたのね。そしてAIR JAM2012がとうとう再来週に!DVD出て欲しい。