所用あり千葉市に来ていますが四街道市と隣合わせの場所で四街道のミステリーにハマっています。

ミステリー1 四街道ってどんな街道の事?

四街道の名前の由来は四街道市のホームページに紹介されていました!

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JR四街道駅から南西へ500メートルほど行った四街道十字路の傍らに駒方方形の道標石塔が立っています。
ここが「四街道の地名発祥の地」で、文字通り4方向への道が伸びています。

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現場は船橋あたりからほぼ西進する御成街道と千葉から北進する北年貢道の交差点に見えるがそういった記述はありません。現実には佐倉街道、成田街道、御成街道は同じものと思われるのでその交差点から街道が始まったわけではなく名前が始まったということだろう。

上の写真のようにガソリンスタンドの前にこじんまりと囲いがしてありそこに石塔と言うにはいささか小ぶりの石柱と説明板が立っていた。





説明板に詳しく記載されているので説明は省くが石柱の四方の写真を以下に添付します。









文字が読みにくいところは説明板で見ていただきたい。

東金が登宇がねとなっているのは昔そうだったのか気になる。馬渡と言う地名は佐倉の近くにあるが東ではないので他にもそういう地名が東にあったのかもしれない。この地名は全国にあって読み方はマワタリ、モウタイがほとんどでウマワタリと読む所もあるそうだ。馬に荷を乗せたまま渡れる河の浅瀬、とか馬を積荷ごと乗せて渡せる船のある渡しと言った意味のようです。ググって見ました。


ミステリー2  道路が直交せず五叉路がやたらと多いのはなぜ?

元々道路の作りは平城京の時代かその前から十字路で区画されていたはずで五叉路を多用しているのはこの四街道しか知らない。

遠近(トウチカ)五叉路、大日五叉路、六方(ロッポウ)五叉路、鹿放(ロッポウ)五叉路、(ややこしい! )などまだまだある。

これについては公式の説明が無いようで、一部言われているのは幕末に砲術教練所が出来、砲弾の着地点を特定し飛距離、方向が発射時の狙いとどのくらい合致しているかを知るためには十字路より五叉路のほうが早く見つけられると言う理由で五差路を張り巡らしたと言う。明治になっても陸軍があとを受け継ぎ砲術訓練をやっていたそうなので余程人の少ないだだっ広い所だったのだろうがそれらが街の中心の四街道交差点と1キロと離れてないのだから恐れ入る。明治の頃までは人気の少ない所だったんだね。

グーグルマップででも確認下さい。