◾️Buddism 行いによって決まる世界観
仏教の考え方に 輪廻転生 というものがある。原始仏教では、輪廻思想と言われるものだ。仏陀は、五道に阿修羅界を加えて六道輪廻を説いた。六道とは、地獄、阿修羅、餓鬼、畜生、人間、天界を言い、仏陀の天通眼、神通眼によって見つけられた、とされている。
人間の転生に意図や意思はなく、その行いによって各界を何億回も行き来して、繰り返される。それぞれの世界を統治する神がいるという。そうでなければ、誰が 人間の生を判断して輪廻する世界を選ぶのか、その根拠がなくなるからだ。
そこで正義とは、何を基準に決められるのか。仏陀は、五戒とか十善戒という戒めを説く。
人間の転生に意図や意思はなく、その行いによって各界を何億回も行き来して、繰り返される。それぞれの世界を統治する神がいるという。そうでなければ、誰が 人間の生を判断して輪廻する世界を選ぶのか、その根拠がなくなるからだ。
そこで正義とは、何を基準に決められるのか。仏陀は、五戒とか十善戒という戒めを説く。
◾️古事記と日本書紀で大きく異なる日本の世界観
神道は、8世紀に編纂された古事記、日本書紀をもとに日本古来の歴史と神への信仰を結びつけてはいるが、各時代の政権者によって利用されてきた。豪族や貴族が天皇を中心に民を治めるための基盤にし、江戸時代から徳川家康が士農工商の身分制度を否定するキリスト教を排斥し、明治政府においては薩摩長州軍が天皇家に権威を持たせて錦の御旗で自軍の正当性を主張する。「神社神道」、太平洋戦争時には軍部が「国家神道」を錦の御旗に掲げて尊皇攘夷論を持ち出して無謀な暴走に突っ込んで行く。国政維持、国家安泰、国体維持を名目に政治的な側面から國民統治の手段として使われてきた。
◾️天皇家を中心に度々政争の具に利用される神道
天皇を中心に古事記、日本書紀に書かれた祭祀を取り入れて神の国を説いてはいるが、その核心は、日本人の歴史を国土の成り立ちから記述してはいるものの、あくまでも日本の世界にかぎられている。古事記は天武天皇が稗田阿礼の記憶をもとに太安万侶に編纂させ、日本書紀も天武天皇の命により舎人親王が編纂した。言わば人間が人間に作らせた歴史書。
天皇を中心に古事記、日本書紀に書かれた祭祀を取り入れて神の国を説いてはいるが、その核心は、日本人の歴史を国土の成り立ちから記述してはいるものの、あくまでも日本の世界にかぎられている。古事記は天武天皇が稗田阿礼の記憶をもとに太安万侶に編纂させ、日本書紀も天武天皇の命により舎人親王が編纂した。言わば人間が人間に作らせた歴史書。
しかし、いずれも人間が作ったものでその人間の主観に大きく影響されている。それゆえ疑問は多々残り、根源的な真理や疑問には抵触すらしていない。とても人生の真理や人間の存在を説明する根源的な思想や原理を説明しているものではなく、教えも真理も真実も到底、納得できる内容ではない。あくまでも政権者のご都合であり、人間が人生を生きる上でも持つさまざまな疑問には答えてはおらず、信頼に足る書物とは言えない。
今に残る神社神道は、東京・代々木にある神社本庁が全国の神祇の基準を定めている。神社庁から独立した神社も存在しているが、各自治体には神社庁が存在している。
◾️ユダヤ人が伝えた唯一絶対の神と福音
新約聖書と旧約聖書には、多くのメシア預言と真理を説く譬え話が、豊富に記録されている。正義、人間の人生、命の根源、神の存在、神の意図、人生の意味、悪の存在理由、神の計画、神の隠された奥義 が語られている。無知で生まれてくる私たち人間に、知恵と叡智と気づきを与え、手のひらを開いて導いている。
神は釈迦のように人間を手のひらの中で生かせているのではなく、私たちの父のように母のように導き、招いている。愛 そのものなのだ。マタイ 13-44に神の奥義の譬え話が記されてある。
畑に隠された宝 とは、イスラエル人のことを指している。
私たちは自分の命と人生の全てを賭けて、ごく一部のユダヤ人が残してきた旧約と新約聖書によって神の存在や福音を知り、自分たちが、何をするために生まれてきたのかという真理を理解することができる。
犬やねこ、猿には神を理解する能力も表現する言葉も持っていないのだ。
あなたが 次に生まれ変わるとして、カエルに生まれ変わるとしたら、どう思いますか?
それは嫌になる程の生き甲斐のない格下げですよね。
もし、この世にこの世界を創造した全知全能の神が本当にいて、
その神が自分が創った被造物である人間に生まれてくる、としたらカエルに生まれ変わる以上の辱めではないだろうか。








