なぜか、世間一般で言うと
不幸なことが起き、
先日の指切りハプニングも小さな一件だったけど、まぁ、でも命を削るようなことではないので、楽天的な吾輩は、それらもすべてプラス思考でのんびり受け止めて、
今日はPCメガネと文庫本2冊を手にして
スタバにも行かずに そそくさと家に戻り
早速、部屋で読み始める。
ダーウィンの「自然淘汰による種の起源」と
ジャレッド ダイアモンドの
「銃・病原菌・鉄」の2冊。
不幸なことが起き、
先日の指切りハプニングも小さな一件だったけど、まぁ、でも命を削るようなことではないので、楽天的な吾輩は、それらもすべてプラス思考でのんびり受け止めて、
今日はPCメガネと文庫本2冊を手にして
スタバにも行かずに そそくさと家に戻り
早速、部屋で読み始める。
ダーウィンの「自然淘汰による種の起源」と
ジャレッド ダイアモンドの
「銃・病原菌・鉄」の2冊。
いずれも自然と生物と人類史に関わる本で、きわめて興味深い著作だ。
ことの真偽は、それを実証してみないとわからない。
なぜ、シマウマは家畜化できなかったのか、という章で、ジャレッドが引用しているトルストイの人間の幸福に関する「アンナ・カレーニナの原則」も興味深い譬えだ。
それはこう始まる。
幸福な家庭はどれも似たようなものだが、
不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。
ジャレッドは、マタイの手紙に
「招かれる人は多い、だが、選ばれる人は少ない。」とあるのをトルストイも認めるだろうと結の句に引用している。
というか、トルストイほどレムナントジュウらしく、イエスの教えを作品のモチーフにした作家はいないだろう。自分が海外の小説で初めてキリスト教や神、人は人を裁けるのか、ということを意識したのは、トルストイが最初だった。
そして、より興味深いのは、
ダーウィンが言うように
自然淘汰で地球上の生命の種が、
適者生存したのならば、
唯一、人間は理性によって
自然淘汰の法則に抗った
生物と言えるだろう。
なぜなら、ジャレッドが言うように
ヨーロッパ人より
アフリカのサハラ砂漠以南やオーストラリア、南太平洋に分布した人種の方が
体力的には優れていたし、
知性も彼らが武器を持たなかったという理由だけで、ヨーロッパ人より劣っていた、と断定できないからだ。
同様に人間より生命力の強い生物は
ゴリラや類人猿、猿人、恐竜、細菌、
昆虫など他にもたくさんいたからだ。
それにも拘らず、
われわれ人間の祖先は、
クロマニヨン人の頃から
道具や火を使うようになり、
ネアンデルタール人や
ほかの大型哺乳類を絶滅させ、
生きながらえてきた。
自分が生きるためには、
ほかの種を絶やしても
それは許されることなのだろうか?
もし、仮にあなたが
相対的に
弱い立場に置かれたら
強い立場にいる彼らが生きるために
駆逐されることを
受け入れられますか?
その時、
あなたの生きる権利は
完全に
踏みつぶされる
ことになるが…
人間は他の生物にそうしてきた。


