果てしなき暴走 | 通常の三倍の尿酸値

果てしなき暴走

山口真帆卒業公演について書くか悩んだ。タバコ一本分ほどだけど。

最近自動車の事故の報道が多いですね。

米国での銃乱射事件の後の市民へのインタヴューなんかで
「自分の身を守るために必要だ。手放せないね。」
と、ここで一欠片の智性も持たないガヤ共の薄気味の悪いユニゾンの「え~」
自動車の事故で何人死のうが徒歩五分で行けるコンビニに車で行くような人達が。

昭和の特撮作品には自動車/交通事故への怨念を題材にしたものが結構多い。
クルマニクラス/ホタルンガ/エレジア/怨念セブン等

肉片と内臓ばかりになったので一部にモザイクをかけています。描き込むのが面倒くさかったからではない。さすがにわかると思いますが横断歩道上の血痕はクルマニクラスのものではありません。目に光が乏しいのはどうせ信号なんて見てねぇんだろうって。
平成になるとテレビ番組のスポンサーに自動車会社がなることも増えたのでしょうか、こうした作品は徐々に消えていきます。
自分は愛煙家です。加えてアル中なので運転はしません。テレビドラマから喫煙シーンが減っていくことと何か関係があるのだろうかという考察をしようと思った次第であります。

あと自分はもう一面で料理人だったりします。
一時期庖丁4,5本(氏五本って変換候補に上がったのだけれどそんな言葉があるのか後でググります。アッポーやMSが日本語を破壊し国を腑抜けにしようとしているのは感じていたけどgoogleもだったか)
を店と自宅の間をを持ち運んでいたけれど一般的には職質されて当然な案件であるような気もします。
ただ自分に殺意など微塵もありません。
連続通り魔殺人なんかで「むしゃくしゃしてやった」とか言って庖丁を兇器に使うってのが意味がわからないのです。
以前いた活魚料理店なんかだと仕事が魚の頭を搗ち割ったりしていて朝着替えた白衣が退社時に血みどろになっていたりして。
とてもストレス解消にはならない。パソコンに一日八時間むかっていて休みの日にまたパソコンいじろうとは思わないだろうし建設現場で働いていて休みにジム行ったり川原走ったりしないんじゃないか。
何が言いたいかと問われれば
"九寸の庖丁を持った男が商店街をうろついていてもなにも恐ろしいということはない"
実際そうした事件の犯人が料理人だったことって少ないんじゃないか。
川俣軍司なんか特殊な例だけど商店街をブリーフ一丁で歩いてる奴を見掛けたらそれはそれで警戒しなければいけないとは思う。

車の方が怖くないのだろうか。自身二度の交通事故に遭い、亡くなった知人が数名ってこともあるにせよ。いや全然知らない子なんだけど職場のアルバイトの女子高生の同級生が轢き逃げされたなんて話を聞くと悲しくて。
殺意などなくて人を殺せるツール。
横断歩道に一時停止も徐行もせずに突っ込んでくる車なんて本当に怖い。
そう、庖丁を持った男よりも怖い。
多分彼は今日の夕飯何にしようかなぁと八百屋か肉屋に行くだけだと思います。あっヨダレがたれてるよ

庖丁は動植物等の命を頂いて人間に受け渡すためのツールです。
生のツールと言えます。
対する車って死のツールじゃないですか。
ユダヤ人を大量虐殺した男が世間に拡めたものです。
業務上過失致死なんて殺人でよくないか。

辻角で全ての車に免許を提示させて職質したらいいんじゃないかと。
全ての信号で停止させられたら利便性なんて失われるので運転しようとも思わなくなるでしょう。
そうして車自体が減っていけば事故も減る。
警察官が何億人必要なんだって話だけど。引きこもりや外国人労働者の雇用対策にもいんじゃね?

気が狂ってきたし長くなったのでそろそろ止めよう。
言っておくがクルマニクラスのイラストをアップしたかっただけなのではないから。
初めに山口真帆卒業についた書きたかったって断っておいたはずだ。

タバコは百害あって一利なし
を金玉過剰、じゃねぇ金科玉条のように唱える変な宗教の信者がいるようなんだけど
そんな江戸時代の学者の言葉は明治に入って西洋医学が入ってきたときに全く無意味なものになった。
タバコには脳の覚醒の効果があることが明らかにされたのだ。

ここまでタバコ一本
気違いのパラドックスってのがあって凶悪犯罪を起こす人間は自分は気違いと認識できないというもの。

 

0521

文中退社時とあるのは退勤時の誤りです。お詫びして訂正します。

これで他人様のweb上の誤字誤変換探して悦に入ってるのだから始末が悪い。

恥ずかしい